5-04 ラ・マスケラ―仮面― 第五章 iv

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<第五章>  "ラストシーン " 

      iv


記者が走り去ったということは、スクープということだ。
残された者たちは必死で英文を読んでいる。

最初に飛び出した欧米人記者が電話で記事を送ったのか、 次々に戻ってきた。
その中の一人が、
「イタリア、いや欧米の文学と演劇の世界で久々のスキャンダルだ」 とつぶやく。

別の記者が、ナミに問いかけた。
「ダンドロ氏が書いていることは事実ですか?」

ナミは今は席に腰をおろしていたが、両手で顔を覆ったままでいる。
他の記者からも、どういうことなのか、説明して欲しいと、次々に声があがる。

じっと文書を見詰めたままでいたジンが、口を開いた。
「しばらく休憩します。30分、いただきたい。
必ず事情は説明し、記者会見も続けます。
いいですね、ドクド氏も、それからナミさんも……」

ディーが肯く。
ユキがナミを抱えるように、部屋から連れ出した。


狭い控え室には4人の他に、司会者やスタッフなどが集まっていた。
カメラマンのリュウもいる。

「僕とジンとミーナ、いやナミさんだけにして欲しい。
その間に誰か英文を簡単に訳し、記者たちに配布してくれ」

ディーが厳しい表情で告げると、ある者は好奇心をあらわに、
別の者は心配そうな表情で、部屋を出て行く。
ナミの傍らに最後までとどまっていたユキも従った。


しばらく、三人は口を開かない。
ナミは携帯を取り出し、ボタンを押す。

「ああ、ルイジ、あなた……」 
だがそう言ったあとの言葉が出ない。
黙ってルイジの言葉を聞いたあと、ようやく口を開く。

「ええ、素晴らしいタイミングだった。
欧米人記者が飛び出していったから、
もうすぐカプリの家のドアの前にも、マスコミが群がるわよ」

続いてルイジの言葉をさえぎるように、言う。
「でもこんなやり方ってないわ。
長い間の私の苦労は、何だったの!?
覚悟を決めたって、じゃあなたは……」

ナミの電話の声を聞きながら、
ジンはもう一度、ダンドロが送りつけてきたファックスの文を読む。


ナミへ。

映画の完成おめでとう。
これはルイジ・ダンドロからの君への祝福の言葉だ……。

君には本当に感謝している。
長い間、君はルイジ・ダンドロの創作になくてはならない存在だった。

君がいなければ一行も書けない、そう思いつめていたから、
君の幸せを願いながらも、すんなりと送り出す気持ちになれないでいた。

だから半身不随を憐れんで君が私の傍らにとどまったときは、
わが身に起こった不運を神の恩寵とさえ思ったくらいだ。 

だがあの時を境に、君はルイジ・ダンドロを守る役割までも持つようになった。
君のおかげでルイジ・ダンドロは死なずにいた。
7年前の『ヴァカンス イン アイランド』から、
作家ルイジ・ダンドロはまさに君だったのだから。

だが今、君は私の望みの通りにナミ・シマムラとして歩み出した。

きっと何も知らぬ者は思うだろう。
この東洋の女はやっと一作シナリオを書いた無名の新進の作家だ。
すぐに消えて行くかもしれないと。

彼らに私は言わねばならない。
彼女の作品はすでにカンピエッロ賞にノミネートされるほどに、皆に愛され、
評価されているのだと。
だから『仮面』はそんな作家の、
処女作を原作として出来た記念すべき作品なのだと。
 

続いてダンドロは一般読者に向けて書いていた。


私の作品を愛してくれた読者には、なんとお詫びしていいかわからない。

ナミ・シマムラが私の代わりに『ヴァカンス イン アイランド』の全文を書き上げたとき、
私はその一作だけのつもりで、悪魔のささやきに従った。
次作からはまた書けると。
そしてなるべく早く、真の作者を公表しようと思っていた。

ナミ・シマムラも私がすぐに書けるようになると信じ、 私を励ますように、
まるでルイジ・ダンドロが乗り移ったように、書き続けた。

知らぬまに時が流れてしまった。
すべての非は、作家ルイジ・ダンドロに対する彼女の愛に甘えた、私にある。

この償いに、私は残された人生をささげるつもりだ。
どうか読者を欺いた私を許して欲しい。

そしてもし『ヴァカンス イン アイランド』や、
その後の彼女の一連の作品を気に入ってくれていたのなら、
作品そのものを評価したくもりのない目で、
ナミ・シマムラのこれからの活躍を応援して欲しい。

私は愚かな作家の弱い心をみつめて、長い時間を過ごしてきた。
次にあなた方にお目にかかるときはきっと、
愚かで弱いルイジ・ダンドロの内に、
新たな、真の私の言葉を獲得できているはずだ。

厳しい一歩を踏み出す道を示しくれたキム・ドクド氏と、
真実の下で自分自身と格闘する、その覚悟と勇気を与えてくれたパク・ナムジン氏には、
心からお礼を言いたい。

それから最後にあなた方には、
現実には叶わない愛であっても、
心の底に物語を紡ぐことで叶えていくこの映画を、
人の営みの愚かさと愛しさを見つめてきたヴェネツィアの美しさと共に、
心ゆくまで味わって欲しいと、願っている。


要約した訳文が届けられ、それをディーがチェックしている。
OKが出された。
ナミは電話のあと、腕組みをしたままじっと目を閉じている。

「ナミ、君がなぜルイジの元にとどまったのか、やっとわかったよ。
君が気がかりだったのは、彼の怪我もだが、何より彼の作品だったんだね」 
ディーが口を開くと、ナミがディーを見た。

「少し落ち着けば、あなたの元に行けると、最初は思っていたの」

ジンが席を立とうとするのを、
「ジン、あなたにも聞いて欲しいわ。
約束通り、私の真実をようやく話せるときが来たんだから」 とナミが止めた。

「でも心の底では、私にはわかっていた。
私は作家ルイジ・ダンドロを捨てられないだろうって」

「捨てる必要はなかった。
僕にすべてを話してくれていれば……。
僕は待ったし、君のその気持ち受け入れることも出来ただろう」

「あなたは、マジョリティーの世界にいるひとよ。私とは違って。
いえ、私たちとは違って。
はみ出してしまう人間の孤独を孤高の世界で表現するルイジに、
私は自分の生を重ねていた。

いくら演劇が盛んなイタリアでも、戯曲は、
戯曲だけでは一般的にはそれほど読まれはしない。
そこをルイジは切り開いてきたの。
どれほど大変だったか……。

でもようやくあの頃、道が見え始めていたわ。
途中で挫折させるわけにはいかなかった。
マイノリティーのそんな気持ちをあなたと共有できるかどうか、
あの頃の私には自信がなかった……」

「見くびられたものだ」 

「そうじゃないの」 ナミは悲しそうに首を振る。

そうじゃない…… ジンも心の中でつぶやく。
ナミは本当はディーがそんな男でないことを知っている。
『ヴァカンス・イン・アイランド』の異国の若者は、あれはディーだ。
女の孤独に寄り添い、彼女の中の奥深くまで入ってくる男……、 
ナミはディーの真実を、物語の中にしっかりと掬い取っているではないか……。

だがそれをジンは口にはしない。

ディーにもわかっているだろう。
答えなど、絶対正しい答えなど、ありはしないのだ。

物事があらぬ方向にころがってしまうのにも、
唯一の明確な理由があるわけではない。
小さな、角度を変えて見れば色が変わってしまう思いや、出来事が、
そこにはいくつもからまりあっているだけなのだ。

ナミは続けた。 
「それに私は、ルイジ・ダンドロを捨てられないように、
自分自身の物語を捨てることもできないと知っていた。
次から次に新たな物語を求めて船出してしまう女を、
きっとあなたは待ち続けることが出来ないと、思ったわ。

でも本当は違う。
傷つけることがわかっていながらあなたを愛しぬく自信が、
私にはなかったのよ」

「事実を見つめる勇気がなかったのは、僕も同じだ。あの事故は……」

そのとき、ドアがノックされた。

「もうすぐ40分たちます。
記者たちからまだかと文句が出始めています」 司会者の声だった。

ジンがディーを、続いてナミを見る。ナミがうなずいた。


当然のように、質問はナミに集中した。
ナミはまず、事の真偽について答えていく。

「私が文章を書いたことは事実です。
でも100パーセントナミ・シマムラの作品かと言えば、それは違う。
着想、プロット、キャラクターの造形、
つまり作品の骨格を作り上げる作業はすべて、ルイジ・ダンドロが行ったからです。

私は彼の研究者として、助手として、
それまでに培ったルイジ・ダンドロの手法を用いて、
組み立てられた骨格の上に肉を付けていったに過ぎない。
よく言って共同執筆者でしょう」

「だが代筆したことは事実だ。
それが読者や文壇を欺いたことについては?」

「もちろん、その責は彼だけではない、私にもあります」

「だが一読者としては……」 とジンが話しに割り込んだ。

「すみません、
僕はダンドロ氏の『水の女たち』と、
『ヴァカンス・イン・アイランド』の両方を読みましたが、
どちらも素晴らしかった。

読み手にとっては作品が全てです。
織り上げられた物語で、立ち現れた世界で、
読者が思う存分酔うことが出来たとしたら、
その作品で欺かれたと誰が思うでしょうか」

「私はむしろ」 とディーがジンの言葉を引き取るように続ける。

「ダンドロ氏の勇気に感銘を受けました。
リハビリによって半身不随という大変なハンディを乗り越え、
また新たな極みを目指そうとしている。

長いあいだの氏の苦しみは、想像に余りあります。
彼の読者に対する真摯な言葉に、
誰も彼を責めようとは思わないはずだ」

ディーがこのスキャンダルを、
映画のプロモーションに利用しようと思っていることは確かだ。
打ち合わせたわけではない。 だがジンもそれに異論はなかった。
そうすることが、このタイミングで真実を暴露したルイジ・ダンドロの意思であり、
望みでもあるのだから。

「何より驚くべきは、女性であり、しかも外国人であるナミ・シマムラ氏が、
ルイジ・ダンドロの世界をこのように見事に、
つまり誰もが欺かれるほど見事に継承し、
作品としてまとめあげたということではないでしょうか。
素晴らしい力を持った作家にこの映画に参加してもらえて、これほどの光栄はない」

ジンの言葉に、テーブルの下のナミの手がふっと浮いた。
ジンの手を求めている。
思わずその手をとりそうになるのを、ジンはこらえる。

記者たちから見えない位置で、
リュウのこぶしの、親指が立てられた。


しだいにナミやダンドロを問い詰める口調は弱まり、
映画の中の"仮面"に込められた意図や、
ジンとの共同執筆の苦労などに話題が移った。

またユキのキャスティングのいきさつにも話が戻され、
ジンには撮影の裏話について、
ディーにはアジア各国での上映に加えて、
ヨーロッパでの上映や映画祭への出展についても質問が飛んだ。


『仮面』は、多くの話題性を持つ映画になった。
これらの話題のどこをマスコミは膨らめるだろうか。
どこに観客は興味を惹かれるだろうか。
ナミとダンドロのスキャンダルが、思わぬ成功をもたらしてくれるかもしれない。
だが真の勝負はやはり映画そのものが担うしかないのだ。

記者会見は大幅に時間をオーバーして終わった。
そのまま休む間もなく、パーティー会場に移動する。


パーティーでの主役は、ジンとユキだ。
二人を囲んでたちまち人の輪ができる。
カメラの要求にこたえて、ジンはユキの肩を抱く。
見詰め合う二人に、一斉にフラッシュがたかれる。

その輪の中に、日本からやってきた制作会社の人間がいた。
名刺を取り出し、ユキとジンに同様に名乗ったが、
ユキに接近してきたことは明らかだった。

「鮮烈なカムバックですね。
この作品と共に日本にお帰りになれば、
日本のマスコミも観客も、文句はないでしょう」 

「日本に帰るつもりはありません」 ユキはこともなげに答える。

「左様で……」 
年齢からしても相当の場数を踏んできた男だろう、
眼鏡の奥の目が少し鋭くはなったが、さして驚いた様子はない。

「では今までのようにヴェネツィアにお住まいになると……。
だが女優としてはこれからというあなたが、これ一作ではあまりに惜しい」

「彼女は女優を続けますよ」 ジンは言い添える。

「と言うと、またあなたやキム・ドクド氏と、
これからも仕事をするということですか?」

「さあ、それはどうかわからない。
もし彼女に演じてほしい作品だったら、
もちろん迷うことなくまた彼女に依頼しますが……」

「失礼ですが、何か具体的なお話でも?」 ユキがズバリと問う。
男の瞳に賞賛の色が浮かんだ。

「まあ、ないことはありません」
「それならこちらまで、ご連絡いただけますか?
次の作品についてはいくつかオファーもありますので」

ユキはいつ取り出したのか、オンデのフランコの名詞を男に差し出す。
「私、ヴェネツィアのこちらの会社に所属しています。
マネージメントの全ては彼が担当していますので……」

男が喰われたように名詞に見入っている。
それを尻目に、ジンは愉快な気持ちでその場を離れる。

たちまち芸能記者や女性ファンがジンに群がってきた。
彼らにも少しサービスしなきゃなと、
ジンは近づいて来ようとしていたリュウの目に笑いかける。

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