色・褪せない ・・・前書きにかえて

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— 私家版私の好きな女たち

しばらく前、ふと気付くと、官能的な描写を含む小説や、
いわゆる「恋愛小説」に、あまり触手が動かなくなっていた。
読むのも、書くのも、である。

あるコミュニティサイトに、「伸びやかなR(=性描写)が好き」と投稿したのは、四年ほど前のこと。
今だって、官能表現が嫌いになったとか、性的なものに嫌悪を覚えるようになったとか、
そういうことではない。
あのとき、「のびやかなR」を、書くのも読むのも好きな女たちがたくさんいるあの場で、
そのことが嬉しくて、「伸びやかなRが好き」っていいよね、と、
つい長いつぶやきをアップしてしまった思いは、今も少しも変わっていない。
性描写に対する許容度は、
場の広がりやダイナミズムを計る、ひとつのバロメーターではないのか、という、
他のコミュニティサイトと比べて感じたことは、
しっかり私の中に根付いたまま、少しも揺らいでいない。

なのに、なぜ……。

枯れたのかもしれないし、飽きたのかもしれない。
官能表現というのはエスカレートするものだから、
単に私のストライクゾーンが狭くなっただけなのかもしれないし、
全然別の方向から、球を投げて欲しく(投げたく)なったのかもしれない。

とにかく、自分でもよくわからないながら、こういうことになっている。
別段誰に迷惑をかけるわけでもないからいいんだけれど。
そうして、新たに読む気にならないなら、これまで読んだものはどうだっただろう? と、考えた。
振り返ってみれば私の中に、くっきりと残っている性愛描写や、女たちがいた。 
ならば、記憶の中で色あせずに輝いている、それらの場面やヒロインたちを、
この際すこし整理し、せっかくだからここでも紹介してしまおう、などと思うのである。

まずは私の敬愛する桐野夏生の言葉。

人は一生かかっておのれのエロスの何たるかを知る。あるいは知らずに死ぬ。
自分のエロスこそが最大の謎なのだとしたら、作家たる者は皆、
摩訶不思議にして、生きるに肝要なエロスというものを、
文章によって表現すべきではないだろうか……

官能小説に挑戦してみて、わかったことがある。
エロスとは、偶然に生まれるものでもなければ、
その人が生まれつき持っている才質でもない、ということだ。
実は、エロスは確かなスキルに裏打ちされ、鍛え抜かれるべきものなのである。
……官能小説を書くために、普段以上のスキルが必須となるのも、そのせいである。

『エロチカ』という官能小説アンソロジーの前書き、『官能とスキル』のなかの一文である。
桐野さんによると、「飽きた」などとほざくのはもってのほか、
「努力が足りない」と一喝されそうであるが……。

「官能小説」と名乗っているもので、記憶に残っているものは少ないけれど、
このアンソロジーだけは、リストアップしようと思っている。
それから、一番最初に取り上げる作品も、決まっている。
森瑤子の『情事』である。

実は昨年、ある女性作家の小説で、大胆な性描写で評判になったものを読んで、
『情事』の鮮烈さを思い出したのだ。

その小説については、仲間内でも「良くここまで書いた」という賞賛の声、
「主人公の、夫に対する鬱屈や依存関係の苦しさと、
そこから自立していく姿がリアルだった」という共感の声など、
概ね肯定的な評を聞いた。

だが私には、あまり面白くなかった。
まず、夫の抑圧から逃れるために、脚本家として、一人の女として自立するために、
他の男と次々に性関係を持つという図式そのものがバツ。
相手の男性は3人? いや4-5人はいたかな、出張ホストも入れれば。
彼らとの性愛描写もあまりそそられなかった。

精力絶倫でセックスのうまい(からだの相性がいい)男と、
へたくそな男と、色々出てくるけれど、いつも男性主導で、
相手次第という主人公の依存体質は最後まで変わらず(のような印象を持った)。
だいたい男関係によって「いい女」度が増すなんて、
あまりにイマドキ的外れではないだろうか。

という私的感想とは裏腹に、賞も三つばかり取ったので、
一般的には評価されたのだろう。
わからないものである。
いやわかるような気もするけど。

ところでこの主人公は、自分は性欲が強い女だ、ということを大仰に告白し、
性的欲望に正直に従うことを、女の革新的な行動のように肯定し、
最後には、その正直さの果てに引き受けなければならない孤独に言及する。

この孤独は、しかし、作品中でしっかり描かれているとは言えない。
花火見物の河原で男とはぐれたときに浮かび上がる孤独とは、
自分の欲望に向き合う孤独ではなく、
単に欲望に応えてくれる男がいなくなったという孤独にしか見えない。

この本が提示した、いや提示しようとしたもの、
まず「性的な存在としての女性」宣言であるが、これはそれほど新しいことだろうか?
林 芙美子が『放浪記』で『食欲と性欲』と書いたのは、今から80年ほども前のことである。

森瑤子が『情事』で、

セックスを反吐が出るまでやりぬいてみたいという、
剥き出しの欲望から一瞬たりとも心を外らすことができない期間があった。

と書いてから、30年以上が経っている。

これは、性的存在としての女の市民権は、
少なくとも1978年に『情事』が書かれてからそう変わっていない、
ということを示しているのだろうか。
それとも『情事』が、それほどに革新的な小説だった、ということか……。

6 Comments

  1. 記された言葉が視覚的に入ってくるとまず「大胆だなぁ~~」と思うけど、
    自分の読んだ本について書かれているのでぐいぐい引き込まれる内容でした。
    最近出されて賞を取った本について、
    私はおもしろくて一気に読んだんです。
    でも、なにがすごいと思ったかというと、
    ちょっとそれは感動とかそういうのではないんだけど・・・
    vaiさんが言ってるみたいに
    >相手次第という主人公の依存体質は最後まで変わらず(のような印象を持った)。
    >だいたい男関係によって「いい女」度が増すなんて、
    あまりにイマドキ的外れではないだろうか。
    これはほんとにその通りで、主人公にも共感できないんだけど、
    それでも、作者が「これってあなたそのものの話でしょ」って思われるのを承知で、
    露悪的っていうか自虐的っていうか、
    ちょっと投げやりな、自分の人生リセットするためにはここまですることが私にとって必要だったんです!っていう、
    必死さみたいなものに圧倒されちゃった感じです。
    自分の内面を
    ぜんぶぜんぶぜ~~~んぶ見せちゃったという感じがとにかくすごいと思ったんです。
    まるで渋谷のど真ん中で、
    自信があるわけでもない体で素っ裸になっちゃったような、
    そんな痛々しい潔さを感じてしまいました。
    それは森瑶子さんの潔さとはまったく違う種類なんだろうなと思わせる潔さ・・・
    森瑶子さんの言葉はすごいですね。
    30年以上前にあんなこと言って、しかもそれがなんか言葉の結晶みたいに気高い感じまでする不思議な表現。
    読んでると、自分自身の内面を思わず見せられちゃったような気がして身がすくむけど、
    なんか清々しい気持ちになっちゃうっていう・・・
    そういう感覚で読んだ女性は多かったんじゃないかな。
    それぞれの内面を、性をテーマにして表す時に
    大事なのはなにかなあ。
    「さらけ出す」ことだけではないという気がするけど、
    でも「書く」っていうことは「さらけ出す」ことだしなぁ・・・
    そのさらけ出す時の演出のしかたってことなのかなぁ。
    とにかくまず比較する作品にこの二つの作品を選ぶことに、
    vaiさんのセンスのよさを感じました。
    vaiさんのストーリーはこんなまえがきのあといったいどうなるのか、
    とても楽しみです!

  2. しーたちゃん、
    さっそくありがとう!!!
    しかし、早い!(二重の意味ね)
    >それでも、作者が「これってあなたそのものの話でしょ」って思われるのを承知で、
    露悪的っていうか自虐的っていうか、
    ちょっと投げやりな、自分の人生リセットするためにはここまですることが私にとって必要だったんです!っていう、
    必死さみたいなものに圧倒されちゃった感じです。
    >自分の内面を
    ぜんぶぜんぶぜ~~~んぶ見せちゃったという感じがとにかくすごいと思ったんです。
    ああ、そういうふうに感じたんだね。
    なるほど、なるほど。
    ずっと読んできた作家だったり、
    これまでの作品に思い入れがあったりすると、
    入り込み方や、自分との重ね方、読み込み方も違うだろうね。
    私はむしろ距離を置いて読んだかも。
    それに作家のプライバシーを全然知らないで読んだからか、
    あんまり「体験」ということを考えなかったわ。ただ、
    >私にとって必要だったんです!
    はわかる。
    だけどどの小説だって(いや、全てではないか)、作家にとっては、
    >私にとって必要だったんです!
    いうのが出発だとも思うしなぁ…。
    たとえ現実に「体験」していようといまいと。
    森瑤子のデビュー作である『情事』にも、それは強く感じるわ。
    実はここでこういう話が出てきたのにちょっと驚いてるの。
    森瑤子のあとに書くつもりでいるのが、
    まさにこの「体験」の話しだから。
    >それぞれの内面を、性をテーマにして表す時に
    大事なのはなにかなあ。
    う~ん、そうやっていきなりすごい質問をさらりと出す(笑)。
    でもこれは、たったひとつ正解があるような問いではないと思うなぁ。
    作家にとってもそれぞれ違うだろうし。でも、
    >「さらけ出す」ことだけではないという気がするけど、
    は同感です。
    それに、「さらけ出す」ものだって、「体験」だけとは限らない。
    「体験」だって、書くことによって変わっていったりもする。
    まあ今後とも一緒に悩み、考えていこうではありませんか(逃?)。
    ということで『情事』までは書いたので、このあとアップするね。
    でもその先は難航しそう。
    気長におつきあいいただければ嬉しいです。

  3. こんばんは。
    なんとも楽しみな連載を始めてくださるのね~。
    森瑤子さんは女性が女々しくなくてカッコ良い。わたしは絶対になれないし、経験することもない設定が好きでした。『情事』は、ずいぶん前に読んだので、細かなことは忘れてます・・。
    もう一度読んできます!
    vaiさんがあまり面白くなかったと感じたというある女性作家のお話。
    実は数十ページ読んでから先が進まず、そのままになっています。そうなってしまった理由なんて考えてなかったけれど、そうなのよ~って。
    >ずっと読んできた作家だったり、
    これまでの作品に思い入れがあったりすると、
    入り込み方や、自分との重ね方、読み込み方も違うだろうね。
    そう、そう、まさにそうだったんです。
    性愛描写が・・・とか、作品の意図が・・・・という前に
    わたしが、彼女に期待していた本ではなかったと言う事。
    それだけの理由です。入った瞬間に、あれ?部屋を間違えました!?って感覚。
    もしかして、あの小説の作者を知らずに読み始めたら、最後まで読んでいたかもしれないです。
    作家って、時々どうしてこの人がこんなものを書くの??って思う本を書きますね。
    俳優が一つの役のイメージに縛られたくないと思うのと似ていて、全く違うジャンルや切り取り方も出来るんだと、誇示したくなるのかしら・・。
    実際、色合いの全く違う作品を書ける作家もいるだろうけれど。
    さてさて本を読むのは好きだけど、ふだん読み散らかしているだけなので、しーたさんやvaiさんのように深く読み込んでいる方の感じ方、捉え方を聞くと、少~~しはいろんなことを考えたり気づいたり、感じたりできそうで、使わなくなってしまった脳細胞の活性化が行われて若返れそうです^^;
    森さんの他にどんな作家が出てくるのかも楽しみ。
    性愛描写に関しては女性作家の方がいいかな~。
    というより、男性作家の書いたものには、それはあなたの妄想の女じゃないの?そんな女がいる??って言いたくなることが多々あって・・・^^;ないですか? うふふ

  4. leapさん、
    コメント、ありがとうです。
    >なんとも楽しみな連載を始めてくださるのね~。
    いやー、期待に応えられるかどうかはわかりません。
    重なったり、ずれたり、色々するとは思いますが、
    おつきあいしてくれたら嬉しいです。
    >vaiさんがあまり面白くなかったと感じたというある女性作家のお話。
    実は数十ページ読んでから先が進まず、そのままになっています。
    そうなってしまった理由なんて考えてなかったけれど、そうなのよ~って。
    >性愛描写が・・・とか、作品の意図が・・・・という前に
    わたしが、彼女に期待していた本ではなかったと言う事。
    あら、そうだったんですか。
    それはしーたちゃんとは違う意味の、読者の素直な感想だろうな、と思います。
    >性愛描写に関しては女性作家の方がいいかな~。
    というより、男性作家の書いたものには、それはあなたの妄想の女じゃないの?そんな女がいる??って言いたくなることが多々あって・・・^^;ないですか?
    ふふふ、これはもうホントにその通りです。
    で、女もまた、男性の「妄想の女」に振り回されてきたんですよね。
    このことは、まだ、どれだけ大きな声で言っても足りないと、私は思っています。

  5. あ、ヴァイちゃん いよいよスタートですね。
    良かった♪ 徘徊出不精もこれで読める(^^)v
    ヴァイちゃんが言っている「賞もたくさん取った大胆な性描写で評判になった女性作家の作品」って たぶん私も読んだ小説だと思うけど。
    私は 面白くなかったというか 居心地が悪かったな。
    いみじくもシータが 大爆笑的にドンピシャな形容しているけど
    >渋谷のど真ん中で、自信があるわけでもない体で素っ裸になっちゃった
    ソーユー人を見ちゃったみたいだった。
    必死さに圧倒されるってことはあるけど、でも「痛々しい潔さ」を感じたというよりは、いいよ・・そんなモン見せてもらわなくても‥という うんざりした感じ。
    「(性的なことを)そこまで書いたのがえらい」みたいな書評にも 私は 何だろう感が大きかったです。本人には確かに大きな告白だから、書いた価値はあったのだろうと思うけど。 作家論的に小説を読むわけじゃないからなあ・・アタシはね。
    あの本の不思議な部分は、後になって性愛シーンがまったくといっていいほど心に残らなかったこと。
    むしろ、最初の男というか、先生と近づいていくあたりの嫌らしさを旦那からの開放にからめちゃうズルっこさとか、相手にすがりはじめてうんざりされる頃の「全然依存体質抜けてないじゃん女」と「結局そんな逃げ方かよ最低オヤジ」のやりとりなんかの方が残る。
    「性欲の強さを持て余す主人公」なのだから 主人公がのめりこむのもわからないではないと思えるほどの官能がないと、共感のしようがない気がします。
    >だいたい男関係によって「いい女」度が増すなんて、
    >あまりにイマドキ的外れではないだろうか。
    そこだわ。 最後の方に マアいい感じの男が出てくるけど その男の魅力は結局ニクタイとか官能じゃなくて、包容力や見た目や社会的スタンス、1周回って元通りって感じだった。
    でも いいですね。
    dalは 「一応」恋愛小説サイトと銘打っているんだからこういう連載は すごくふさわしいしい気がします。
    ・・でも ここでコメントすると「じゃあお前の書いているモンはドーなんだ?!」って 
    創作をお読みの皆様に言われそうだけど。(^^;) 
    アタシの場合は 恋愛小説は書いていないデス。
    「文で描く少女コミック」が 目標です~(汗)といい訳をして帰ります。

  6. ボニちゃん、
    おかげさまで、やっとこアップです。
    あ、ボニちゃんもあれ読んでたんだ。
    >あの本の不思議な部分は、後になって性愛シーンがまったくといっていいほど心に残らなかったこと。
    そうなんだよ。見事に消えちゃってる。
    なんでだろうね。
    (スキルが足りない!)
    なんか今、天から声が聞こえたような…。
    あと思ったのは、たしかあれって、男性週刊誌に連載されたんだよね。
    そういう場の制約-自主規制とか刷り込み(「妄想の女」?)ってのはなかったかな。
    だから私は『渋谷で裸になった』よりも、むしろ「作った」感じがした。
    つまりリアリティーを感じなかった。
    って、前書きのここでこんなに盛り上がるとは思ってもいなかったわ(笑)。
    でもこういうふうに、ある作品に関する感想を言い合うのってすごく面白いね。
    >dalは 「一応」恋愛小説サイトと銘打っているんだからこういう連載は すごくふさわしいしい気がします。
    へい、がんばります。
    >・・でも ここでコメントすると「じゃあお前の書いているモンはドーなんだ?!」って 
    私なんて、しょっちゅう自分のこと棚にあげて平気でぶつぶつ言っているよ…。

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