色・褪せない ③ 複数の性

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私家版私の好きな女たち/アナイス・ニン(2)

『ヘンリー&ジューン』 アナイス・ニン 杉崎和子/訳 角川書店 1990年
『インセスト』 アナイス・ニン 杉崎 和子/訳 彩流社 2008年

 

◆分裂 

ヘンリーと踏み込んだ世界は、
単に夫以外に愛人を得た、というにとどまらないものを、アナイスに与えた。
アナイスは、初恋の相手であるいとこのエドワルドとも性関係を持つ。
同時に、夫との関係は複雑なものになっていく。

ヘンリーと「二度目の愛」を交わした日の夜。

「君、今晩は最高にきれいだ。活力が満ち満ちている感じだ。
その自信が一体どこから来ているのか、不思議だな」

その晩も、ヒューゴーが私を欲しがった。
そして、私の良心は死んだ。

私の躰は、知らぬ間にヘンリーの囁き声の命令に従っていた。
脚をからめて、ヒューゴーの腰を締める。
夢中になって彼は叫び声をあげる。
「ダーリング! ダーリング! 何をしているんだ! ああ、凄い、初めてだ……」
私は夫を裏切った。欺した。それでも、世界は硫黄色の霧の底に沈みはしない。
狂乱の勝利。もう私は人生のモザイクをまとめることはできない。
ただ、泣き、笑うだけ。

怖ろしいパラドックスを認識している。
躰を開き、他の男に与えた私は、ヒューゴーを前よりは愛せるようになった。

そして、真実は、これがたった一つ、私にできる生き方だということ。
二つの道、二つの生命が要る。私は二つの存在。 (『ヘンリー&ジューン』以下同)

エドワルド、ヘンリー、そしてジューン、
二重どころか何重にも、彼女の性は分裂していく。

ある日、ヘンリーが、自分のことを棚にあげて、
アナイスのような女の道徳観念のなさが許せない、と言い出す。

彼自身、節操もなければ、平然と女を裏切るのだが、
女がそれをするのは許せないらしい。

ヘンリーだけじゃない。私も腹を立てている。
だが、女たちが無節操だからではない。
女たちが生きている現実の生が美しくないからだ。

そして夫には、心のなかでこうつぶやく。

この頃は、毎日、あなたに嘘ばかりついているけど、
私の中に入る愛が、多ければ多いほど、私から、あなたにあげる愛も多くなる。
私が自分を狭めれば狭めるほど、あなたにとって、
私はつまらない女になるわ。

もっとはっきり言うとね、たとえば、あなたが大好きな私は、
あなたへの愛のために、ほんとの意味で生きる、ということを諦めてしまったら、
あなたの前にいるのは、ひれふす尼僧。

ヘンリーの腕からあなたの腕へ、するりと滑りこむ私は、
ひどい悪女かもしれない。
でも、常識的な誠実さなんか、私には意味がないの。
そうした規範では生きられないのよ。

私の言葉だけがあなたの知識。
秘密の痕跡は、私の躰にもない。
嘘をつくということ、私のような嘘をつくということも、 生きるということなのよ。

このアナイスの言葉を、あなたはどう聞いただろう。
彼女の論理に、(自己)欺瞞や保身を見ただろうか。
だが、(自己)欺瞞や保身と無縁のものなどいない。
ここでは、彼女を裁く規範や道徳観念は、この際、私たちも忘れてしまおう。
善も悪も、分けるのをよそう。
彼女の『日記(無削除版)』は、そのようにして読まれるべきだ。

春から夏。ヘンリーとのセックスは激しさを増していく。
そこに「愛」はあるのか。
せき止められていた欲望が、ただ放たれただけではないのか。
刺激しあい、理解し合える作家として、あるいは友としての、
精神の結びつきはどうなのか。
アナイスの記述は、なかなか一貫しない。

一方ヘンリーは、早い時期から、アナイスが特別な存在であることを認め、
結婚や駆け落ちを口にするようになる。
アナイスも、「その愛を、私は衣服のように着る。
こんなに人を愛しているなんて、そら怖ろしくなる」 と記すようになっていく。
だがアナイスは、ヘンリーの求婚や駆け落ち話しを、
決して本気で取り上げようとはしない。
ヒューゴーを傷つける恐怖と、ジューンの「支配」から逃れられない。
ヘンリーがジューンと別れられるとも、思えないのだ。

 

◆浮上する言葉

ヘンリーとの関係が深まりつつあった4月、
アナイスは精神分析医、ルネ・アランディの許に通い始める。

アランディは、もともとエドワルドの分析医で、
後にはヒューゴーも彼に分析を受けるようになるのだが、
驚くのは、アナイスがアランディを誘惑してしまったことだろう。

これは、治療の過程で生じる感情移入とは、少し違うように思う。
アナイスは、絶対的に君臨する分析医に、
自分自身にも認めたくないような己の姿を打ち明ける心もとなさ、
患者は医者の解析を拝聴するしかないという力関係を、
完全には受け入れられなかったのだと思う。

ただ、日記ではなく一人の生身の人間に、
自分の性愛の(ほぼ)総体を語れた、ということは大きかっただろう。
たとえアランディに物足りなさを感じたとしても
(アランディの分析に、的外れや違和感を記してもいる)、
自らを見つめるため、そして創作の手法として、
精神分析を取り入れる手ごたえは、つかんでいたのではないか。
この頃、(女としての)自信のなさを、 幼い少女に刻み付けた存在=父を、
分析的に自覚した記述も見られる。

年上の男性を征服すれば、私の自信が裏づけられるのか?
私は苦しみを探しているのか?
ヘンリーの、むしろ冷たい視線を浴びて、私が感じることは
–父の青い瞳のように冷たかった–その青い瞳たちが、
私への欲望で溶けて欲しい、ということ。

分析を受けるようになってからの、アナイスのジューンを記す言葉は、
愛する男を共有するもう一人の女に対する憎しみや嫉妬など、
あからさまに、そして少しありきたなものになっていく。
それらを経て到達した、一番正直な言葉は、次のようなものだと思う。

ジューンは大嫌い、が、彼女は美しい。
ジューンと私は、溶けてひとつになる。そうなるべきなのだ。
ヘンリーは、一つになった二人を愛せばいい。
私もヘンリーとジューンが欲しい。
ジューンはどうなのか? 彼女なら、すべてを欲しがるだろう。
彼女の美しさは、あらゆるものを要求してはばからない。

アナイスにとって、ジューンは、その美しさと強烈な個性で、
彼女を魅了するだけの女性ではなかった。
ヘンリー(と、男や社会)に理解されないジューンの苦しみを、
自分の中の呼応する部分と共に、 彼女は繰り返し説いてもいた。
ヘンリーも、アナイスの言葉に真摯に耳を傾け、
やがてそれは『南回帰線』のヒロインに結実していったようだ。*
ジューンとの一体感(への欲望)には、そのような理解と共感もあった。

ヒューゴーに対しては、「彼への愛は兄弟愛のようになってしまった」と、
性愛が失われてしまったことを嘆き、にもかかわらず、
偽りの性を演じなければならない苦痛を、正直に明かす。
それらは、文学的な修飾や美化、自己弁護を剥ぎ取った姿であり、言葉である。
そして、次のような確信も得る。

私の生活の論理も調和も、ヘンリーとジューンに壊されてしまった。
でも、それでよかったのだ。パターン化した生活は生活ではない。
今は生きている。

それでも、私の中にある何かは、ヒューゴーを超えて、彼の輪の外側で、
確かに成長しようとしている。

アナイス・ニンの日記は、日記なので当然だが、
物語のように、ストーリーや感情の流れが整理されているわけではない。
だが彼女の日記を読む楽しみは、まさに、
一人の女の、感情の移ろいを記す言葉に身をゆだね、
その内面世界を共に探索するところにある。

アナイスは性愛の描写にも、こころを砕いた。
なんとか肉体のありのままの声を、書き記したいと望んだ。

ここからは、どう書けばいいのか分からない。生まれて初めての体験だから。
あの時間のあまりの密度の高さ、激しさに目が眩んでいるから。
私が覚えているのは、ヘンリーの貪欲さ、エネルギー。
「君のお尻はステキにきれいだ」って言われたこと。湧き出す蜜。
凄まじい快楽の波。終わりのない融合。平等な快楽。
待ちに待っていた性の深さ、暗さ、究極、赦祷式。
躰の芯に触れる男の肉は私を征服し、濡らしながら、力強くその焔をよじった。
「感じるかい? え、感じるか?」
私は何も言えない。目も頭も血で一杯だ。言葉は溺れてしまった。
意味も音も不確かな、叫び声しか出せない。
女の躰のもっとも原始的な根からあがる叫び声、
子宮から蜜のように迸り出る咆哮。

これでも、事実を書いたとは言えない。
今の私の力では、あの日を描ききるだけの深さも激しさもない。
だから飾りも隠しもする。でも、私は諦めないで書き続けるわ。
私の魔術がひそかに創り出していたとおりの、あの暗く、壮麗な、狂おしい、
めくるめく、激しい官能の恍惚へ落ちていった瞬間を描ききるまで。

アナイスは、女性の性の実態を、驚くほどの率直さで語ってもいる。
日記だから書けるかというと、それは違う。
1930年代だろうと、2010年代だろうと、
自らの性の現実を認識すること、それを言葉にすることは、たやすいことではない。

彼女はアランディーに、ヘンリーとの濃密なセックスにおいても、
いつもオーガズムを得られるわけではない、と明かした後、
「女を歓ばせたかどうか、男の方にはわかりますの?」 と、問い返している。
「80%の男性は何もわからないのだ」 とアランディは答えるが、
私たちが性を交わすとき、相手に応える肉体の言葉は、しばしば、
思いやりか力関係か、それとも植えつけられたジェンダーイメージかは知らないが、
相手にずれて届く。
そしてそのずれは、女自身によっても、見ないふりをされている。
最も真実を差し出し、受けとりあっているはずの瞬間にひそむ偽り。

ここを出発点にした描写や作品を読みたいものだと思う。
「美しくない」現実を生き延びるために、「美しい」イメージや夢、 神話、
つまり幻想を、私たちは切実に必要としているけれど、
幻想を見据えた、あるいは突き抜けた描写、
これは幻想なのだ、という認識の上に築かれた作品も、読みたいのだ。

さらにアナイスの日記を通して浮かび上がってくるのは、
一筋縄ではいかない性愛の多面性、とらえどころのなさだ。

エドワルドには、妹のような愛で性に応じる。
彼が男としての自信を回復するためには、そのとき性関係を持つことが重要だと、
理解していたからだ。
だが、彼の「美しさ」に、彼女の欲望が噴出するときもあった。

ヘンリーに対しても、「愛」があるときも、ないときもある。
強い、奔放な、暴力的な男を求めて、いったんはそれを得られたと思ったのに、
ヘンリーはいつの間にか、弱く、優しい、几帳面な男の顔を見せるようになっていて、
組み敷かれたいと思っていたアナイスの好みも、
上になって自分の快楽を追求するのが好きだ、などと変わったりもしている。

ヒューゴーに対しては、歓びを分かち与えるような性もあれば、
欺瞞的で心のない性もある。
ヘンリーが娼婦を買うのに嫉妬して、
彼に対する復習のように、ヒューゴーに欲望が燃えることもあった。

アランディーとの関係は、これらとはまた違うものだ。
好奇心、征服欲。「一つの『体験』にすぎない」。

そしてジューンに対する欲望。
夢のなかに閉じ込められ、眠っていた性。

性を交わす相手が複数だから多様なのではない。
一人の人間の中に、同じ相手にさえ、さまざまに形を変える性があるのだ。
そして、愛と欲望も、欲望と快楽も、快楽と愛も、
けっしてぴったり重なりあっているわけではないのだ、ということ。

◆崩れる均衡

1932年、10月。
アナイスが恐れ、待ちわびていたとき。

昨夜、ジューンが帰ってきた。

タクシーの中で、私はジューンの腕に抱かれている。
その腕に力をこめて、「あなたは、私に生命をくれたわ。
ヘンリーが取り上げてしまったものをあなたがくれたのよ」と彼女は言った。
私も、同じような熱い言葉を返す。

タクシーの中での、この場面は–膝が触れあい、手を握り、頬をつけて–
私たちが、それぞれの心の底に横たわる敵意を、意識しているかぎり、
続いていくことだろう。

けれども、戻ってきたジューンは「正常」で、「ヒステリックでもなければ、混乱してもいない」。
ヘンリーからは、しみじみと正直な「美しい」手紙がとどく。

君を愛している。かつてないほど愛している。ほんとうだ。

だが、今さら、手遅れだという気もする。今となれば、ジューンと共に、
しばらく、美しい嘘を生きていくよりほかに、道はない。

僕を憎みもし、軽蔑もするかもしれないが、それも仕方のないことだ。

ヘンリーとジューンに出会ってから、もうすぐ一年。
大きく変わったものがあり、変わらずに残っているものがあった。

 

【参考】

*ヘンリー・ミラーのテクストに響くアナイス・ニンの声 — 中村亨
『ヘンリー・ミラーを読む』より 本田泰典+松田憲次郎/編 水声社(2007.12)

8 Comments

  1. 日記の抜粋を読むとアナイスは、前回読んでイメージしたよりずっともっとすごいレベルだと思いました。
    何のレベル?
    うぅ~~ん、あてはまる言葉がない。
    奔放のレベル?
    社会の常識とかモラルとか、そういうことからの逸脱のレベル?
    すごすぎる・・・って思いながら、でもまだそういうことに憧れてる自分にちょっととまどったりします。
    もう80年くらい前?
    そんなに前にこんな日記が記されて、でも今読んでもそのまま新鮮なんですね。
    日本にも、その頃にも実はこんなことがあったのかな。
    でも、精神分析医を訪ねるような、そんなことにはならないなあ。
    そして、精神分析医にそのような質問を投げかけることは、
    現代でもなかなかできそうにないなあ。
    すべてが驚くべき世界のようであって、
    でもすぐそばにありそうで、ちょっと踏み越えたらいきなりそこに行けそうな世界でもあるかもしれない。
    でも、踏み越える人はなかなかいなくて、
    そっと想像してボーッとなって違う世界を感じようとするのかもしれない。
    私のように。

  2. しーたちゃん、
    読んでくれてありがとう。
    アナイス、まだまだ続くんだよ。
    最低ここまでは書いておきたい、というところまで書かないと、
    今回は気がすまないというか、
    それで宿題を終えて、早くすっきりしたいというかね。
    80年前の日本にも、多情な女はいたし、それを書いた女性作家もいたよね。
    林芙美子は、なんとアナイスと同年生まれだし(しかも日記も出してるし)、
    ちょっと年上にはあの宇野千代がいるし、
    少しあとになると瀬戸内寂聴とか。
    あまり読んでないんで(『おはん』と『浮雲』は大好きだけど)、
    私はしっかりと比較はできない。
    でも、読み比べてみたら面白そう。
    あ、森茉莉も、アナイスと同年生まれ。
    彼女は多情というのとは違うか…。
    だけど、西と東の『官能性』についての違いとか、
    テーマとしてはそそられるよね。
    >でも、精神分析医を訪ねるような、そんなことにはならないなあ。
    そして、精神分析医にそのような質問を投げかけることは、
    現代でもなかなかできそうにないなあ。
    私は精神分析について、まともには何も知らないんだけれど、
    でも(フロイトの)精神分析にとって、性が重要な要素だというのはあるみたいで、
    心の問題の底にある性が、科学的(?)に表舞台に出てきたあの時代、
    あの場所(ヨーロッパ)にいたことが、
    アナイスには、現実の性&生でも、創作の上でも、大きかったんだろうと思うわ。
    『読んだよ♪』にコメントいれてくれた方もありがとう。
    アナイスの日記を読んだ人がここにもいた、というだけで嬉しいです。

  3. >80年前の日本にも、多情な女はいたし、それを書いた女性作家もいたよね。
    林芙美子は、なんとアナイスと同年生まれだし(しかも日記も出してるし)、
    ちょっと年上にはあの宇野千代がいるし、
    少しあとになると瀬戸内寂聴とか。
    わぁ~~そうだった!!
    彼女たちがいた!
    瀬戸内寂聴の本で、女性同士のラブシーンを読んだことがあります。
    大学生の時に図書館で読んで、ものすごくドキドキして、
    こんな本を読んだことを誰にも知られたくないから借りられないと思って(笑)
    でも、そこでずっと読んでて誰か友達に「何読んでるの?」ってのぞかれたらどうしようって・・・
    なんか最後まで読めなかったような気がします。
    すごくリアルでエロティックな内容だったと思います。
    たぶん、最後まで読みたかっただろうな、その時の私(笑)
    宇野千代さんもすごいですよね。
    ほんとにそうだわ。日本にもちゃんといる!!
    精神分析が日本に本格的に入ってきたのはいつ頃なのかな。
    河合隼雄さんがユングに師事してからなんだろうか。
    確かフロイトが全てを性に結びつけてしまうことに弟子のユングが異を唱えたのだったかな?

  4. しーたちゃん、
    >瀬戸内寂聴の本で、女性同士のラブシーンを読んだことがあります。
    へえーー、寂聴さんもそういうの書いてるんだ。
    知りませんでした。
    タイトルは覚えてないの? 思い出してぇ(笑)
    『花芯』はポルノ小説だって言われて、そうとうたたかれたみたいだけど、
    どんなだろうね。

  5. うぅ・・・全然タイトル思い出せないままいろいろなキーワードで検索してみたんだけど、
    どれだかわかんないわぁ~~。
    相手の女性は白人で、名前がヒルカルデっていったのだけ覚えてるんだけど・・・
    なんで覚えてるんだろな。

  6. ああ、しーたちゃん、
    探してくれてありがとう。
    こういうの探すのって、難しいよね。
    でも、もし縁があれば、きっとどこかでまた出逢えるだろうと思うわ。
    私のほうに縁があったら、すぐに知らせるね。

  7. 超ドン亀ですが、、、
    今日、なんとなく「いちげんさん」を読んだのです!!!
    そしたら、ヘンリー&ジューンがでてくるではないですか!
    これは、、、
    読んでないので、レスできないと思っていましたが、
    なんかご縁を感じてご報告レスです。
    いちげんさん、今日まで読んでなくて後悔しました、
    それほど面白かったしドキドキしました・・・

  8. rzさん、
    コメント嬉しいです。
    「いちげんさん」って、全然知りませんでした。
    で、検索してみたら・・・
    「デビット・ゾペティ原作の小説。第20回すばる文学賞受賞(1996年)、芥川賞候補作となる。
    舞台は1989年の京都。大学で日本文学を学ぶスイス人の「僕」と盲目の京子との恋愛物語。」
    これですよね。
    そういえば96年前後って、まったく本を読めない状況だったんだよな…。
    なんてことはどうでもいいんだけど、面白そうですね。
    で、どういうふうに『ヘンリー&ジューン』が出てくるんだろう。
    興味津々。
    これは読まなくちゃ。
    すてきな情報、ありがとうございます。

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