3-09 クラブ・ジェイン/マリエ

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翌日、宅配便で送った荷物が届いた。
ワンルームの部屋は、いくつかダンボールが入っただけで急に狭くなった。
箱を開けるのにためらいを覚える。
ガムテープで封印したまま、押入れの奥に仕舞い込もうか。
あるいは、中身も見ずに捨てる。

カティアが本を選り分けながら言った言葉が、思い出された。
「人にあげるのは、自分では捨てられないから。
だから代わりに捨ててくれと言うことでしょう。
私もこの本読み終わったら、まただれかにあげます」

そうやって、まるでマネー洗浄のように人の手を渡っていけば、
モノも次第に最初の持ち主の気配を消していくことが、できるのだろうか。
結局リョウは箱を空け、マリエの服をベッドの上に並べた。

それからもうひとつの小ぶりの箱から、アルバムを取り出す。
幸福なときが、そこにあった。
ジェインとシライとマリエが一緒に生きていたときは、濃密で、
侵しがたく堅牢で、リョウを圧倒した。

飽かずにアルバムをめくっていると、
写真の中でマリエが身に着けている服が、箱のなかに何着かあるのに気付いた。
試しに一枚、華やかなプリント柄のワンピースを着てみる。
サイズはぴったりだった。

鏡の前に立つと、自分ではないような気がした。
リョウのクローゼットにはこのような明るい色のものはない。
それにワンピースなどというものも、
ジェインがプレゼントしてくれた一着があるだけだ。

いつもより濃いめに化粧をする。
それから洗面所の棚の奥から、ホットカーラーを引っ張り出す。
だがリョウが下手なのか、それとも髪質のせいか、
マリエのきゃしゃな顔の輪郭を柔らかに覆う、
ウェーブのかかった髪形にはなりそうもない。

リョウはアルバムから写真を一枚はがし、コートを羽織ると、
以前通っていた近所の美容院に出かけていった。

「いらっしゃい、お久しぶりです」 
美容師は、まだリョウの顔を覚えていた。
「なんか、昔と少し雰囲気変りました?」
「ワンピースのせいでしょ」

写真を差し出し、同じようなカラーリングとパーマを頼む。
「今日のお洋服には、このほうがぐっとお似合いです」
ブローが終わると、美容師が言った。
あまり客にお世辞を言わない美容師だったし、リョウも素直にそう思った。

思いのほか時間を取られてしまったので、そのまま仕事に行く。
洋服が変り、髪型が変っただけなのに、ブーツの足先までが軽い。
一方すれ違う男の視線は、以前より少し重い。
ワンピースが流行遅れかと心配になり、
すぐに、その上には今年買ったばかりのコートを着ているのにと、可笑しくなる。

くるくると気分が、日に日に華やかさを増すネオンのように光度を増したり、
またたいたりする。だが端から端まで通りを歩き、
地下鉄の階段を駆け下り、また駆け上がると、
ただ踊るような高揚感だけが残った。

「遅れてすみません」 
ドアを開けるなりあやまる。
「ほう……」 
斉藤は少し目を見開いただけだったが、母は驚きの声をあげた。
「知らないお客様かと思ったわ」

その夜訪れた常連の客たちも、
リョウの“変身”をからかったり、褒めたりした。
その口ぶりの中に、どこか馴れ合いのようなものを感じる。
通りすがりの男の視線と同じものだ。
だがそれは、決していやなものではなかった。

「客足、増えるかもしれないな」 
ボソリと斉藤がつぶやいた。

冷え込んでいた街が、忘年会とクリスマス商戦で賑わいだすと、
バーは例年よりも混み合うようになった。
それは母が店に居る時間が長くなったためでもあり、
斉藤の予想の通り、幾分かはリョウの“変身”のせいでもあった。

リョウはいつもと同じ黒のパンツと白いブラウスで、
髪をうしろでひっつめに結わえてカウンターに立つときもあれば、
マリエの服で、ふわりと髪を揺らせて立つときもあった。

今日はどっちのリョウちゃんかと、そのうち客は楽しみにするようになった。
俺はモノトーンがリョウちゃんらしくて好きだと言う客も少なからずいたし、
華やかなリョウちゃんに女の魅力を感じるという客もいて、
そんな客たちの声も、リョウの中に小さな自信を育てた。

きっちりとボタンを胸元まで留めるシャツブラウスも、
今はかたくなな構えなどというものではなく、
その日の気分で、軽い気持ちで選ぶことができた。

あれから一度だけ、“オステリア”でジェインに会った。
月に一度くらいは顔を見ながら報告を聞きたいと、電話してきたからだ。
マリエの服を着ていく勇気はなく、髪もきっちりとポニーテールにまとめる。
それなのにジェインは、髪の色と、ゆるく巻かれた毛先に気付いた。

「明るくなった。これからの季節にぴったりだ」
「つい発作的に、近所の美容院で……」
「色々試してみるのはいいが、今度はサロンでやるように」
ジェインはそれ以上何も言わなかった。

髪の色に合う服を、一緒に選んでくれますか? 
そう言ってみたかった。
ジェインはシライが、私にマリエの話をしたことを、知っているだろうか。
シライが私にマリエの写真を託したことを、知っているだろうか。
だがリョウには、無邪気に甘えることも、
そんな疑問を口にすることも、出来なかった。

シライに会うときも同様に、マリエの服は身に着けない。
けれども大学に通うとき、それから部屋に一人でいるとき、
リョウがマリエの服を選ぶことが多くなっていた。
マリエの服をまとうと、自分の中の押さえつけていたなにかが、
ぐんぐんと広がるようで心地よかったのだ。
写真は毎日のように眺めた。

 

—なぜNYに? 
—色々な理由があったわ。そのどれも言葉にできない。
もしかしたら、自分でもよくわかっていなかったのかもしれない。
でも、ひとつだけはっきりしていたことがあった。
私、日本が息苦しくて、とにかく外に出てみたかった。
—こんなに伸び伸びしてるのに?

リョウのなかで、いつしかマリエとの対話が始まった。

—そう見えるだけよ。
大学のときはまだよかった。
誰も私の前に立ちふさがる人なんていなかったから。
けれども、世間は私みたいな少し外れてる女に、とっても厳しかった……。

—だけど、応援して、愛してくれる人がいたじゃない。
—愛して、甘やかしてくれる人がね。
ジェインは少し違ったけれど。
私、彼と一緒のとき、苦しかったわ。愛しすぎて、苦しかったの。
でも彼の期待にも応えたくて。

それなのに、思うように応えられなくて、情けなくて、悔しかった。
彼の愛に値する女になりたくて、随分背伸びもした。
彼の気持ちだけは、永遠につなぎとめたかった。
彼にとって、いつもナンバーワンの女でいたかった。

—お兄さん、じゃなくて、シライさんは? 
—彼は私を女神のようにあがめてくれたわ。
どんなわがままも聞いてくれた。
ジェインに愛されたくて作り上げたイメージを、誰より愛したのはシライよ。
でもそれは買いかぶりだった。

—ねえ、教えて。どうして、失踪したの?
—最初は、本当に軽い気持ちだったのよ。
一度それまでと違う役を射止めて、反応もよかったわ。
自分の中に手ごたえも感じた。
私は新たなマリエを発見したのかもしれない、そうも思った。
そしたらそれまでのマリエから少し離れてみたくなったの。

—わかった、あの舞台からでしょう。
—そう、脇役があんなに楽しいものだと、私あの時まで知らなかった。
—あなたには、きっと主役も出来るわ。
でも何故、そんなに好きだったジェインさんや、
愛してくれたシライさんとの連絡を絶ったの?

どうしても知りたいことだった。

—二人とも随分心配して、探したのよ。
—わかっていたわ……。

何度会話を繰り返しても、この質問になるととたんにマリエの口は重くなる。

—これもやっぱり上手に説明はできないの。

マリエはそう言ったが、
リョウには、マリエはただ答えたくないだけなのだという気がした。
私に知られたくないのか、それとも私にはわからないと思っているのか……。  

—いつか、教えてね。

仕方なくそう会話を終える。

だがそのことにさえ触れなければ、
とりとめのない会話はいつまでも続けることができた。

—あなた、まだNYにいるの?
—誰にも言わないって約束できる?
—言わないわ。絶対。

—ロンドン。
—えっ?
—ロンドンに居るの。
—日本には、帰らないの?
—たぶんね。少なくともまだしばらくは。役者もそう長くはできないだろうけど。
—なぜ?
—私、子どもを産むかもしれないし。

これなどマリエの物語の様々なバリエーションのうちの、
ほんのひとつに過ぎない。リョウはまるで、
幼い頃大好きな本を読み終えたあと、その先を夢想したように、
際限なくマリエの姿を追い、描きだした。

アルバムの中に、ジェインとシライとマリエが三人で
クリスマスケーキを囲んでいる写真があった。
三人とも酔っているのか、心も体も浮き上がっているように楽しそうだ。

部屋はマリエのアパートらしい。化粧台やベッドの脚が写りこんでいる。
ケーキはブッシュ・ド・ノエルだった。
数日前、駅前のケーキ屋のウィンドウを覗いたら、
似たようなケーキのサンプルが出ていた。
今年はあれを買って、モモとみずきを呼ぼう。
それからマリエも。

モモは、問題なかった。教授はこの日ばかりは家族と過ごすからだ。
リョウは、イブには“デート”を入れないでくれとジェインに頼み、
聞き入れられた。だがみずきには、クライアントからのリクエストが入った。

仕方なく始める時間を少し遅くする。
駅でモモと待ち合わせて買い物をし、
注文したケーキを引き取り、マンションに帰る。

「ルゥ、変ったね。ぐっとそそられる」
真紅のニットワンピースは、首元から裾までのダブルジップで、
リョウはその日、胸と裾の両方をかなり深く開けていた。
クリスマスの写真でマリエが着ていたものだ。

「今日はダメよ」
「今日も、か」 
モモが不機嫌な声になる。
「そんな格好してて、そりゃないよ」
「みずきさんに頼んでみたら」

モモがローストチキンを袋から取り出した。
「ママがよろしくって」
「私に?」
「いや、ジェインに。ジェインとこでパーティーだと、勝手に思ってる」

サラダを作り、パンを切っているとみずきがやってきた。
「これ、おみやげ。いらないって言ったのに、
クライアントがどうしてもって聞かなくて」
大きな四角い箱を差し出す。ケーキがダブってしまった。

「早かったのね」
「当たり前よ。今日ぐらいとっとと片付けて、
あとは自分のための時間にしなきゃ」
「だけど“クラブ”の売れっ子が三人とも
イブに恋人と過ごせないって、情けないよな」
モモがおどけて言った。

「あんたはね。
でも私今日くらいは何にも考えず、ぱーっと飲みたい」
みずきの専門学校への編入は、やはり許されなかった。
ただし、春にはデリヘルを辞めるという約束だけはとりつけた。
みずきはそれまでに出来るだけ稼ぐつもりらしく、
フルにクライアントとの“デート”を入れている。

「乾杯しよう」 
リョウは、バーからこっそり持ち帰った、フランチャコルタのグラスを掲げる。

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