3-03 クラブ・ジェイ/マリエ

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そのあとは、シライとしばらく会わない日が続いた。
NY本社から日本支社に配属となった同僚の、
住まい探しや引越しの手伝いを頼まれた。
面倒だが仕方ない、向こうで世話になったやつで、
中学生の頃日本に住んでたとはいえ、今は知り合いは誰もいないんだ。
日本語がうまいから助かるけどな。シライはリョウにそう説明した。

それを機に、少しずつ別のクライアントとの“デート”がセッティングされるようになった。
たいていは数回会うと、それで終わりになった。
リョウがやんわりとセックスを拒否するのが、
長く続かない一番の理由だろう。
リョウのアクターとしてのイメージは“妹”だったが、
ほとんどのクライアントが“妹”を抱きたいと望んでいたからだ。

彼らの望みを拒否するのには、かなりのエネルギーを要した。
ジェインによって選ばれたクライアントだ。
露骨なことを言うことも、横柄な態度で接してくることもない。
だが、おだやかな表面の下にたぎる思いのようなものは、自然に伝わってくる。
それを一度、二度、とかわす。三度目にはへとへとになって、
そのあとどう接したらいいのかがわかなくなる。

一人、できることなら望みに応えてやりたいと思うクライアントがいた。
吉田は優しい男で、すこしも強引なところがなかった。
口数が少なく、リョウのどんな話題も喜んで聞いてくれた。
そんな気持ちになったのは、だが彼に好意を覚えたからではない。

いつも彼は、先に金の入った封筒をリョウに差し出した。
その額はいつも、約束より多かった。そのことが、申し訳なかった。
つまり、貰う対価に相応しい労働を自分はしていないと感じ、申し訳なかったのだ。
もしジェインに前もってセックスを禁じられていなければ、
リョウはこの男にだけは応じていただろう。

次の週末、その吉田と四度目の“デート”を予想していたのに、
結局連絡はなかった。
みずきに電話すると留守電になっていて、返事は翌日の昼過ぎだった。

「どうした?」
「最近バーに来てくれないから」
「ごめん、前より忙しくなっちゃって」
みずきが“クラブ”でも引っ張りだこになっていることに、
なんのこだわりもない。
だが彼女はそうは思っていないようだ。

「なんか元気ないな。
あ、もしかしてみずき姉さんとトップ争いで負けたのが悔しいとか?」
トップ争いとみずきは言ってくれたが、
実際は彼女の足元にも及ばない。

「まさか。さすがだなって感心してる」
「だって私、先が見えてるからね。必死なのよ。
リョウちゃんはこれからだし。でもね、リョウちゃん向いてないって。
悪いこと言わないから早く辞めたほうがいい。
ずるずる引きずるより、いい人生経験したって、とっとと辞めな」

みずきは二言めには早く辞めろと言う。
「わかってる。大学が終わるまで。そしたら辞めるから。約束する」
リョウも、そのたびに同じ言葉を繰り返す。
「だから、少しだけ教えて欲しいの。
クライアントと長続きするこつがあるなら」

「うーん、そのときそのとき一生懸命やることかな。
へたな駆け引きなんかしたら、かえって逆効果だからね」
これではなんの参考にもならない。
だが、クライアントの欲望にすんなりと応えられるみずきに、
アドバイスを求めるのは無理だ。

モモにも電話してみる。
彼とは時おり連絡しあい、都合がつけば会うようになっていた。
「友達と映画見て、これからどうしようかと思ってた。
こいつらの顔は見飽きたし」
抗議なのかからかいなのか、数人の若者の奇声や笑い声が、
背後でからみあって聞こえた。

やってきたモモは、その日もリョウを求めた。
いや、リョウの望みを敏感に察知して、
これ以上ないくらい的確に応じてくれたと言うべきだろう。
果てたあと、冷えたミネラルウォーターを回し飲みする。

「ルゥ随分溜まってただろう。いいかげんに恋人つくれば」 
「大きなお世話」
怒ってみせながら、溜まっていたと言われて初めて自分の欲望に気付く。
「まあ、いつでも出張ホストやってやるけど」
「えらそうに。この前慰めてあげたのは誰よ」

さっぱりと、なんのてらいもなく会話が転がっていく。
「でも私、出張ホストもウリセンボーイも、だめだと思う」
「試したことあるのかよ」
ケンと未遂に終わった夜のことを話す。

「何か、決定的に必要な何かを、彼に感じなかった」
「女はしょうがないよな。選別する性だから。
一方男はばら撒く性だろ、だから機会があればやろうとする。
でも選別する性もばら撒く性も、次々に違う相手を求めるのは同じだ。
もし人間子育てにこんなに時間が必要じゃなきゃ、
ことはもっと簡単なのに」

「なるほどね」 
もし子供が、私がいなければ、ことはもっと簡単だったかもしれない。
たしかに、母と兄も……。

「最近はぴったり来るまで次々にホストやボーイを試す女もいる。
一度でだめとか決め付けずに、試してみろよ。
ルゥにはもっと男性経験が必要だし」
もう一度大きなお世話だと答え、
そういう相性のようなものとは違う何か、
モモにはその気になるのに、ケンにはならない何かについて思う。

ひとつは、モモの向こうにジェインがいるからだ。
その向こうには兄がいる。
リョウがモモと抱き合っているところを、ジェインはあの時見ていた。
そしてその後も彼と寝ていることを、ジェインは知っている。

そのことも、リョウの気持ちを昂ぶらせる。
一人の男と抱き合っているときに立ち上がる、別の男の存在。
マリエもおそらく、同じだったのではないか。

マリエに関しては、それだけではない、
何か別の理由があるような気もするが、
それが何かはリョウにはわからない。
シライにも、結局はわからなかったのではないか。
おそらくマリエを本当に理解していたのはジェインだけだろう。

でも、だったらどうして、
マリエはシライだけでなくジェインの前からも消えたのだろう。
リョウはあれからマリエのことを考え続けているが、
いつも最後にはそこで行き止まりになってしまう。

「どうかした?」
「なんでもない……。
ねえ、クライアントにリピーターになってもらうにはどうしたらいい?」
「寝なきゃいい。
そうすれば、そのクライアントは永遠に僕のもの。
彼は、彼女でも同じだけど、ずっと僕を忘れられず、
ずっと恋焦がれていてくれる」

「また簡単に。だったら私なんかとっくに……」 
「シャワー浴びてくる」 
リョウに最後まで言わせず、モモが立ち上がった。
トップ取れてるわよ、とその背中にぶつけようとしたき、
“クラブ”専用の携帯が鳴った。吉田だった。

「こんな時間に悪いね」 
「こんな時間?」
まだ西日が明るい時刻だ。
「こんな中途半端な時間ってこと、週末だし。
きっとルゥは誰かとデートしてるんじゃないかと思って。
今、大丈夫かな?」

いつもの吉田のようではない。言葉が妙に滑らかだ。
「いいえ、今日は一人でずっと家にいたの。
お兄さん連絡くれなかったから」
モモに向かって、音をさせないようにと唇に指を当てる。
途中まで開けたドアをそっと閉めて、モモはベッドに戻った。

「今どこ?」
「急な出張でね、札幌にいる。
取引先とのランチがビール園でジンギスカン、
さっきやっと解放されてホテルに戻った」

吉田はあまり酒が飲めないと言っていた。
いつもと違うのは、無理して飲んだビールのせいだろうか。
それに“こんな時間”に、見知らぬ土地のビジネスホテルに一人でいれば、
手持ち無沙汰で落ち着かない、いつもと違う自分にもなるだろう。

「札幌のどのあたり?」
「すすきの、って知ってるかな。
取引先にまかせたら、こんな繁華街のど真ん中にホテルをとってくれて」
「いいじゃない、賑やかなところのほうが」
「賑やか過ぎるよ。気を使ってくれたのかもしれないが」

すすきのがどういうところか、よくは知らない。
だがなんとなく想像はつく。
隣で電話のやり取りを聞きながら、モモが肩に唇をよせてきた。
それを押し返す。
不審に思われないように、札幌の気候や、
食べたことのないジンギスカについて次々に質問する。

この一週間のことを問われて答え、部屋の様子を聞かれて説明する。
会話は会っているときよりずっとはずんだ。
行ったことのない土地の話を聞くのも楽しかった。

ふと吉田が黙った。
隣ではモモが飽きてきたのか、
リョウのタンクトップをめくりあげようとしている
にらみ付けると、嬉しそうに笑う。
にくたらしいやつ。

「ルゥ…… 」 
吉田の声が少し上ずっているような気がする。
「君の部屋の窓の外には、ビルがたくさんあるかな」
モモの手をふりほどき、窓際まで歩く。
「ビルばかりよ」

「ということはそのビルの窓からも、ルゥの部屋が見える」
「ええ、見ようと思えば」
吉田の真意は分らないが、そう答える。
「もし僕が今いるのが札幌じゃなくて、
君が今見てる正面のビルの一部屋だったら」

正面のグレーの建物は飲食店が入っている雑居ビルだが、
高さはリョウの部屋まで届かない。
その向こう、メインストリートに面したビルの同じ高さには、
自動車メーカーの大きな看板がかかっている。
だがリョウは話をあわせる。

「そしたら私のこと、今見えてる?」
「ああ、見える。手を振ってくれ」
言われたとおり、看板の野球選手に向かって手を振る。
「西日があたってるね。暑そうだ。そのブラウス、脱いで」

一瞬、言葉の意味がわからなかった。やがて、
これから吉田の向かおうとしている場所がぼんやりと浮かんできた。
モモは何が始まるのかと、じっとリョウの様子をうかがっている。
「待って、今……」

一旦携帯を窓枠に置き、タンクトップを脱ぎ捨てる。
「脱いだわ」
「嬉しいよ。ルゥのことますます好きになりそうだ」
「お兄さんも脱いで」

吉田がシャツのすそをズボンから引き出し、
ベルトの留め金をはずす気配がした。ズボンから足をぬきとり、
シャツのボタンもはずしたようだ。
それからベッドに横たわり、下着を下ろす。

「ルゥも同じようにしてくれ」
「いいわ。今日、正面のビルにおにいさんが来てくれたから。
でも一度だけ、今日だけのことよ」
「わかっている」

ジーンズと下着も脱ぎ、近づいてこようとしたモモを目で制し
窓の前にキッチンの椅子を持ってきて座る。
目を閉じると、にこやかに笑う野球選手が、誰でもない、吉田でもない、
名前のない一人の、欲望にまみれた男の顔になる。
その男に見せつけるように、男の視線を楽しむように、リョウは足を開く。

欲望が、必ずしも愛などというものと関係ないことはわかっている。
そう言い切ってしまったらいけないだろうか。
愛という楕円と、欲望と言う楕円は、確かに重なってもいるが、
重ならない領域も大きい。
欲望は、誰かによって呼び覚まされることもあれば、
既に生まれていることもある。それを愛や恋と呼ぶ前に。

時にはそれは、目の前に誰もいないのに、増幅し、育っていく。
いずれにしても、いつも目の前に生身の肉体が必要なわけではない。
だが欲望が空を駆けめぐり、着地するために、必要なものはある。

「こんなふうに遠くから、ルゥのことをただ見て、いや、思っているのもいい」
あなたは頭の中で、私にどんなこともできる。
私、どんなことでもしてあげる。だがそれを口には出さない。

「お土産、買ってきてね、お兄さん……」 
無邪気な妹に戻って言う。

電話を切ると、ベッドに腹ばいになって一部始終を見ていたモモが、体をおこした。
「もう一度する?」
「悪いけど一人でやって。もうへとへと」
「ちゃんとしたいかと思っただけ。何か欲しいものは?」
「コーヒー」

モモと入れ替わるようにベッドに横たわる。
モモが慣れない手つきで淹れてくれたコーヒーは、
豆を細かく轢き過ぎたせいか、とろりと苦い。
だが砂糖とミルクをたっぷり入れると、
コーヒーはいつものアメリカンより、ずっと美味しくなった。

「モモ、私、つかまえたわ」
にやりと、モモが笑った。

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