3-02 クラブ・ジェイン/マリエ

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「だからクライアント第一号が、お兄さんなのね」
「そうだ。じゃ、アクター第一号は誰だと思う?」
「ジェインさんの取り巻きの一人、でしょう」

— 翌週、待ってたら来たよ。
約束どおりの時間に。マリエが一人で。
偵察に来たのか? イヤミなやつだな。
それともマリエの友達でも紹介してくれるのか? 

マリエは笑った。それから言った。
お兄さん、はじめまして。これからよろしくねって。
無邪気に、いつもの生意気な口調じゃなくて。
ふざけるな! 俺は怒った。冗談もいい加減にしろ! 
そのままマリエを残して店を出た。

ジェインのところに行こうと、駅に向かった。だがその必要はなかった。
駅の改札の前、柱にもたれて、やつがいた。
おまえ、知ってたのか!? そう問い詰めようと思った。
だがジェインの顔を見て、すぐにわかった。
全てはやつが仕組んだことだと。

ちがう、マリエが望んだんだ。
三人の中に知らない女が混じるのなんていやよ、
あいつそう駄々をこねるんだ、仕方ないだろう。
そうは言ってもジェインがOKしなけりゃ、マリエだってあきらめただろう。
どう考えてもばかばかしい、あんなことを。

マリエは、僕以外にもいつも複数の男と関係していた。
おまえの耳には一度も入らなかったか? 
ジェインに言われて驚いた。信じられなかった。
いつも二人は一緒で、誰もその間には入り込めない、
いつか聞かされたことを、疑ったことすらなかったのに。

ジェインは続けた。
もっとも誰とも一度か二度の短い関係で、
たいてい相手は彼女のファンか演劇仲間で、引きずることも、
トラブルになることもない。
なぜ今まで、マリエがお前に手を出さなかったのか不思議なくらいだ。

僕たちの間にマリエが割り込んできたとき、覚悟したよ。
それを許したのは、おまえならいいと思ったからだ。
できればわけのわからない男と短い関係を繰り返すより、
信頼できるお前と安定して関係を続けて欲しいとさえ思った。

理解できなかった。
何故マリエがジェインの他にも男が必要なのか? 
何故ジェインがそれを平然と受け入れているのか? 
わかったことはただ一つ。
どうやらジェインとマリエの結びつきには、
肉体的な満足は別の場所で満たしても、なんの影響もないということだけだ。

同時に新たな怒りがこみ上げてきた。
じゃ俺は何なんだ!? 信頼できる安定したセックスマシーンかよ!? 
俺の気持ちを知った上で、お前よくそんなことが言えるな! と。

だが怒りが爆発する前に、頼むよと、ジェインが俺の手をとった。
こんなことを頼めるのはシライだけだ、
そう言ってあいつ、ぎゅっと俺の手を握った。

納得したわけじゃない。
だがもし断れば、ジェインともマリエともこれで終わってしまうだろう。
それはいやだった。
マリエがジェイン以外の男に抱かれるのも、許せなかった。

混乱したまま居酒屋に戻ったら、マリエはまだそこにいた。
俺を認めたとたん、不安げな表情が、今まで見たことの無いような笑顔に変った。
試合終了のホイッスル直前に逆転ゴールを決めたみたいな、
うれしさの余り泣き出しそうな。

それからも、俺たちは三人でしょうっちゅう会った。
何も変わったことはなかった。
ただマリエをアパートに送っていくのが、
それまではいつもジェインだったのに、時々俺の役目になっただけだ。

ジェインがテレビ局、俺は銀行、マリエは劇団員に、
卒業後の進路も決まり、卒論も無事に提出した。
三人の関係は永遠に続きそうだった。ある意味完璧な関係だった。

「完璧?」
「ルゥには想像もつかないだろうな。
だけどそうとしか言いようがない。
俺はジェインとマリエが好きで、ジェインもマリエと俺が好き、
でもってマリエは俺とジェインが好きで」
「でも、永遠には続かなかった……」

 

— ああ。大学を卒業して社会人になると、
微妙に、何かがねじれ始めた。
大学という共通の場がなくなったせいかもしれないし、
俺とジェインが、職場でそれなりにやりがいを感じ始めていたのに反して、
マリエが劇団の下っ端の仕事になじめなかったせいかもしれない。

あるいは劇団員だけじゃ食っていけないからと、
落ち着きなく色んなバイトをしていたマリエの中に、
疲れが溜まっていたからかもしれない。

ジェインの仕事は時間的に不規則だったが、俺は定時に終わる。
マリエと俺だけが二人で会うことが多くなった。
ということはあいつの愚痴を俺一人で聞かされたということだ。
いや、それはいい。一番の問題は、
三人で安定していた頃には他の男と関係することなんて無かったマリエが、
また劇団仲間や演出家と寝るようになったことだ。
俺は嫉妬に耐え切れなくて、絶えずマリエにつきまとった。

そんな暮らしが数年続いたよ。
やがてバイトだけじゃ家賃を払いきれなくなったと、
マリエが俺のマンションに転がり込んできた。
本当は、狙っていた役を後輩の女に取られて、すっかり落ち込んでしまったからだ。
プライドの高いマリエは、一人だと眠れないのよ、
でもお兄さんが一緒なら眠れるから、としか言わなかったけどな。

ジェインだって心を痛めていた。
オーディションの情報も集めたし、
局が制作するドラマの役をなんとかマリエに回してやりたいと、随分頑張った。
だが入社間もない若造には、なんの力もない。

俺は悩んだ末に、マリエにプロポーズした。
もうバイトはやめろ。思う存分、役者に専念しろ。
そのためには、お前は俺と結婚するのがいいんだ。
そう言ったら、あいつ、大笑いしたよ。

さんざん笑いころげて、ふと真顔になった。だけどジェインは? 
ジェインもきっと賛成してくれる。あいつとお前は今のままでいい。
きっと元の三人に戻れる。俺はそう説得した。

ジェインにも相談したよ。このままじゃマリエ、つぶれちまうって。
俺じゃだめなら、ジェイン、お前が結婚しろ。
そう言うと、あいつ予想通り即座に答えた。
マリエと結婚するのは、シライのほうがいいと。

俺たちの選択は、間違っていたのかもしれない。
だけど他になにが出来た? 
すでに正三角形は、いびつな形に姿を変えていた。
俺とマリエが結婚したから、三角形が歪んだわけじゃない。

バイトを辞めて劇団の仕事に専念できるようになって、
マリエは落ちつきを取り戻したかに見えた。
だけどしばらくすると、以前より一層いらつくようになった。
俺は知らずに、マリエを追い込んでいたんだ。
知らずに、あいつの逃げ道をふさいでしまった。

端役ばかりをやらされてまた何年かが過ぎた頃、ジェインが、
あの劇団はマリエの持ち味に合わないのかもしれないと言い出した。
俺もそんな気がした。
マリエがしがみつく気持ちもわかるが、
もっとあいつに合うところがあるのかもしれないと。
ある日、夕食の後マリエが一枚の紙を取り出した。離婚届だった。

ずっとわがままを聞いてくれたお兄さんに、最後のお願いがあるの。
離婚してください。
慰謝料なんてもらえるはずない、でも手切れ金と思って、
貯金の半分をマリエにください。

いつかマンションを買おうと貯めていた金のことを、マリエは言った。
その金で、ニューヨークの演劇の学校に通いたいと。
金はやる。全部使っていい。
仕送りだってしてやる。好きなだけ勉強して来い。
その代わり、いつでも帰ってこれるように、離婚はしない。
俺がそう言うと、マリエは泣いた。
あれがマリエが泣くのを見た、最初で、最後だった。

 

「最後って……」
「色々調べて、ビザもおりて、数ヵ月後にマリエは日本をたった。
最初は定期的に電話があったよ。
学校に通うかたわら、かたっぱしからオーディションを受けてるって。

一度は舞台で重要な脇役を射止めたと、写真を送ってきた。
だから俺もジェインもすっかり安心してた。
だが、次第に連絡が遠のいて、そして、消息を絶った。
まるで地に潜ったみたいに……」

同じ言葉を、ジェインも言った。あれはマリエのことだったのだ。

 

―― 大使館に連絡したり、色々手を尽くして探した。
事件にでも巻き込まれたんじゃないかと心配だったが、
きちんと住まいを引き払っているし、それはないだろうというのが、
調べてくれた大使館員の返事だった。
事態はちっとも進展しなくて、俺もジェインもじれた。
自分たちが何も出来ないって事が、たまらなかったよ。

音信が途絶えて半年がたった頃、ジェインがテレビ局を辞めた。
早まるなと俺は止めたけど、あいつは聞かなかった。
すでに飛行機のチケットもとってあったから、
きっと随分前から考えていたんだろう。

あとで、辞めたのはマリエのためだけじゃなくて、
局のカラーが合わなかったことと、あいつのおやじさんが体を壊して、
仕事をジェインに引き継ぎたいと言い出したからだと知らされた。
おやじさんはレストランや、詳しくは知らないが、
風俗の店も何軒か経営していたらしい。

だが、ジェインが観光ビザで滞在できるぎりぎりまで探しても、
マリエは見つからなかった。
俺もそのあと、休暇をとって何回か行ったが、だめだった。
時間ばかりが過ぎ、やがてジェインは、もうあきらめようと言い出した。
マリエは、二度と俺たちに会うつもりはないんだと。

俺もだんだんそんな気がしてきた。
最後のあがきのように、俺は外資系の銀行に転職した。
NY勤務の一年で見つからなかったら、本当にあきらめようと。
結果は、予想通りだった。

 

「本当にあきらめたの」
「人間、少しずつ現実を受け入れられるようになるもんだ。
今はほとんどあきらめてる」
「離婚届は?」
シライは遠くを見るような目つきで言った。
「それは、まだ先になるだろうな。たぶんマリエより好きな女が出来たら」

「ジェインさんは……」
「あきらめられないのは、俺よりあいつだ。
風俗の店を全部整理して、練りに練って“クラブ”をオープンしたのは、
マリエのためだ。

“クラブ”は、役者をやめて日本に帰ってきたときに、
誰よりもマリエが輝く場になるだろう。
男と女の生身の関係で、様々な役割を演じる、
マリエは虚構を舞台で演じるより、それを現実に生きる女だった」

シライは、明日の予定があるからと帰っていった。
「今夜はルゥと寝なくてよかった。
男と女は一度でも寝たら、その瞬間から終わりにむかって歩き出す。
これがジェインの持論だ。
最初はわからなかったが、今はそれがよくわかる」

リョウはそのままホテルに泊まった。
シライの話を消化するためには、
マンションの部屋の生々しい日常に戻るより、
無機的なホテルの部屋のほうがいいと思ったのだ。

夜が更けるにしたがって、
シライが最後に口にした言葉が、胸に重くのしかかった。
それから、シライの話の中で甦ったマリエの名前の記憶、
続いて鮮やかに浮かんだ映像も。

ジェインがクリムトのダナエにはさんでいたポストカード。
Mで始まるサインは、Marieと読めた。
スポットライトを浴びて、きっちりと首元までボタンを留めた女優は、
マリエだった。 

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