2-03 クラブ・ジェイン/ルゥ

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「まだ辞めてないの!?」 
カウンターのグラスにビールを注ぎながら、リョウは驚きの声をあげた。
みずきはクラブ・ジェインに採用が決まったら、
デリヘルはすぐに辞めると言っていたのだ。

「ただし週に3日だけ。
しかも取る客は、常連と“クラブ”から来たやつだけに限定されてる。
あとはフリーにクライアントに会うためにあけておけって」
デリヘル勤めはジェインの指示だった。
だがそんな変則的なことが許されるのだろうか。

「店は納得してるの?」
「ジェインが移籍金って名目で少し包んだみたい。
私もあそこじゃそろそろ賞味期限切れだし、店にも都合がいいのよ」
みずきらしくない言葉だった。かすかな苛立ちも込められている。

「専門学校は?」
「中途編入できないか問い合わせ中。
もし入学が決まればジェインだって考えを変えてくれると思うけどね」
そうは言っても、ジェインの意図が、
クライアントの多様な嗜好や好奇心を満たすためのものだとしたら、
みずきは永遠にデリヘル嬢のまま置かれるかもしれない。

「じゃ常連さんとは前と同じように…… その……」 
めずらしくリョウがセックスのことで口ごもったのに、
幸いみずきは不審を抱かなかった。

「もちろん今までとおんなじ。クライアントともね。
でもそれ以外が常連だけなら、
性病やエイズに感染するリスクは低くなるってわけ。
そうそう、月イチの検査、リョウちゃんも同じとこ? 
ジェインの知り合いのクリニックの……」

リョウは頷く。確かに一度は行かされたのだ。
だが定期的な検査の指示は受けていない。
クライアントとセックスをしないことが前提なのだから。
だがそのことをみずきに伝えるタイミングは、すでに失われていた。

「今までより見入りがいいのはありがたいけど……」
ドアが開いたので、みずきは口をつぐんだ。斉藤だった。
“クラブ”のことは絶対に斉藤と母には知られてはならない。
そのことはみずきも承知している。

「最近みずきちゃんヒマそうだね。そろそろ引退かな」
「おあいにくさま! 
トップになるとあくせくしなくてもいいのよ」
斉藤のからかいを軽く受け流すと、みずきは席をたった。

 

あれから三週間、リョウはまだクライアントと会ってはいない。
それどころか、ジェインとゆっくり話す機会すらなかった。
ジェインは週に一度、ジャガーで迎えにきてくれたが、
行き先はいつもビューティーサロンで、そこでおろされたあとは、
特別に組まれたプログラムを消化するだけで一日が終わってしまう。

先週の土曜日だけは、
ジェインはサロンのプログラムが終わる時間にやって来て、
ディナーに誘ってくれた。
だが遅くまで一緒に過ごしたというのに、
この夜もたいしたことは話せなかった。

食事の前にショッピングに行った。
ナラ・カミーチェではなく、ジェニーやラルトラ・モーダなど、
聞きなれないイタリアンブランドを揃えたセレクトショップだった。
ストライプや無地のシンプルなシルクのシャツと、
ヒップラインがきれいに出るパンツ、
それから大胆に肩を出したワンピースなどをジェインは選んでくれた。

ペルラでは、ため息が出るほどきれいなレースをあしらったセットではなく、
つややかで冷たい光沢の布地に(やはりシルクだった)、
手の込んだ刺繍が施された、
大胆なカットのショーツやブラジャーを試着させられた。

広いフィッティング・ルームで、
ヒップの丸みがそのまま露出してしまうシャンパンゴールドのショーツに戸惑っていると、
店員がいかがですかと声をかけ、失礼しますとドアを開けた。

店員は女の下着を一緒に選ぶ男に、
その女の試着姿を見せるのは重要な勤めとでも思っているかのように、
ドアを大きく開けたまま、よろしいようですねとブラジャーのフィットを確かめ、
それから肩を押してくるりとリョウの体を一回転させた。

あわてたが、ドアを閉めることも脱ぎ捨てた服で体を覆うことも、できなかった。
いかがですか? ともう一度店員は言ったが、それはリョウではなく、
ドアに体を持たせかけるようにしてフィッティング・ルームを覗き込んでいる、
ジェインに向けられたものだった。

ジェインは頷くと、先ほど選んだワンピースを袋から取り出した。
首元はしっかり覆われているのに、
胸と背中にスリットが入っていて、
露出度が少ない割りに大人びたセクシーなワンピースだった。

それを着てフィッティングルームを出ると、
試着したものと同じ形の、黒とチョコレートブラウンのものがワンセットづつ、
それに、リョウがうっとりと見とれた華やかなレースのセットも
レジの台に並んでいた。

「他に欲しいものがあれば……」
ぐるりと店内を見回す。
きれいな色のツインセットやインナーはどれも、
女の体をいかに美しく見せるかに心を砕かれている。
それらは全て、纏う喜びと共に、脱がされる喜びを約束してもいる。
滑らかで柔らかなシルクに、少し骨ばった男の指はなんと似合うことだろう。

「いいえ……、もう……」
だがリョウはそう答える。
ワンピースの中のペルラの下着は、
リョウの肉体を、裸でいるより一層エロティックなものに変えた。
その自分の肉体に、リョウは圧倒されていたのだ。

「また、連れてきてください」
店員はリョウの少し上ずった声に微笑を浮かべ、
親しい視線をジェインに向けた。それがリョウに、
ジェインは何度も違う女を連れてこの店を訪れているのだと、教えてくれた。

ディナーは"オステリア"ではなく、
夜景のきれいなフレンチレストランでとった。
ただでさえ人目を惹くジェインと一緒なので、
窓際の席は店内の視線が一点に集中するテーブルとなった。
全体に薄暗い照明なのに、
なぜかそこだけスポットライトを浴びているように明るく感じられる。

しかもジェインは熱っぽくリョウを見つめ、
時々長い指さきでリョウの手に触れたり、
自分の皿の料理をフォークに刺してリョウの口に運んだりするので、
そのたびにリョウは、店内のああちこちから浴びせられる視線を意識した。

だがそれは、けっしていやなものではなかった。
見られているということが、体の芯をしびれさすような快感になることを、
この夜リョウは学んだ。
しかも全ては、ベッドの上で完結する音楽の前奏曲なのだ。
ペルラの下着に包まれた肉体は、官能の予感と期待に満ちて、
ときおり小刻みに震えた。

フルコースのあとの食後酒とコーヒーを終え、夜の街を歩いた。
腰に廻されたジェインの手のひらの熱は、
肌の一部になったシャンパンゴールドのシルクに吸い取られていく。
コロンと混じりあったジェインの匂いがなつかしくて、
ずっとその匂いに抱かれていたいと渇望した。

けれどもジェインは、
携帯でオステリアのギャルソンが運転するジャガーを呼び出すと、
マンションまでリョウを送り、
玄関の前にリョウを置き去りにして帰ってしまった。

 

その翌日、専用の携帯に公衆電話から電話があり、
恐る恐る通話ボタンを押すとモモだった。駅まで迎えに行った。
カフェで向かい合ってみると、その日もモモの表情は固かった。
また教授とのデートが流れたのだと言う。

「最近、避けられてるみたいで……」 
「それって恋する乙女と一緒だわ。
ただ彼はちょっと忙しいだけなのに、つい悪いほう悪いほうに考えてしまう」 
「こんなこと、兄貴にもクラスの友達にも言えないから」 

大人びた年齢不詳のモモではなく、歳相応の少年がいた。
かばってやりたいような、甘えさせてやりたいような……。
それは年下の男に対する初めての感覚で、
だからつい部屋にさそってしまった。
昼も食べていない、食欲がないと言うので、
得意のスパゲッティを食べさせたいとも思った。

モモは二人分のカルボナーラのほとんどを平らげ、
珍しくワインのグラスも何杯か飲み干した。
「意外だな。料理もうまいんだね」
「料理、も?」
「ワインの栓をあけるのとか」
「あんなのただの慣れよ」
「それから……」 とモモはなにか言いかけたが、
そのままソファーにひっくり返ってしまった。

他に私が上手にできることなんてあったっけ……。
モモが目を閉じてしまったので、訊き返すのをやめる。
慣れないワインに酔ったのかもしれない。
やがてかすかに寝息が洩れてきた。

食器を洗い、コーヒーのカップを持ってソファーの足元に座る。
くっきりとした黒目勝ちの瞳は、今は濃いまつげに覆われている。
頬は少女のようになめらかで、ひげのそりあともない。
それに半開きの唇の柔らかそうなこと……。

モモの安らかな寝顔はクリムトのダナエを思わせた。
額に浮かんだ汗をリョウはそっと指でぬぐい、それを舐めた。
何の味もしなかった。

しばらく見とれていると、眠ったままモモの腕が伸び、
ジーンズのボタンをはずした。きっとお腹が苦しいのだろう。
モモはリョウの視線に気付く様子もなく、
さらにジッパーをおろしていく。

本当に眠っているのか!? 
そう思ったのとモモが目を開けたのが同時だった。
「起きてたの?」 
見つめていたことも、額に触れたこともわかっていたのだろうか。

まっすぐリョウに向けられたモモの視線が熱い。
「コーヒー、飲む?」
立ち上がろうとしたが、腕をとられた。
からになったカップがフローリングの床にころがった。

「それから……、ルゥは男のものを握るのも、
咥えるのもうまかった。
もう一度しよう」

拒絶しても、どうということもなかっただろう。
だがリョウはモモの視線で、あの夜の淫らなルゥに戻っていた。
欲しかったのだ。彼が。
本当に交わったのだという確かな記憶が。
少年の華奢な肉体の背後にジェインを抱くようにして、
リョウはモモと寝た。

「私、クライアントとセックスしちゃいけないって」
「知ってる。でもアクター同士もダメとは言われてないだろ」
久しぶりの、まともなセックスだった。
モモは優しく、タフだった。

「リョウちゃん」 
斉藤に呼ばれて我に返る。
「今日、もういいよ」
「だって……」
時計を見るとまだ10時少し前だ。

「男、出来ただろう?」 
いきなりの斉藤の言葉に、リョウは返事につまる。
「勉強だって? 今さら?」
ちがうと答えようと思ったが、
斉藤がにこやかにまくしたてるので言葉をはさめない。

「一度店につれて来いよ。そしたらママには内緒にしといてやる」
リョウは否定も肯定も出来ないまま、
彼氏にヨロシク! という斉藤の声とともにバーを追い出された。

しばらく前から、“バー”のバイトは週4日に減らしてもらっている。
勉強の時間が足りないのだと言うと、
斉藤はそれを母を引っ張り出す口実に使い、
母は斉藤の目論見どおり店に出るようになった。

さして心を入れ替えたようには見えない母だが、
ただいてくれるだけでいいのだと、常連客だけでなく、
誰より斉藤が喜んだ。

今日は金曜日、これで月曜日までの三日間、リョウはフリーになる。
これからどうしようかと迷う。
オステリアに行って、
ジェインに早くクライアントを紹介してくれと頼んでみようか。

 

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