2-01 クラブ・ジェイン/ルゥ

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車でお送りします、とコバが言うのを断り、外に出る。
突き当りを左折して坂を上る。
歩きながら、深々と樹木の匂いを吸い込む。
ジェインと歩いたときには気づかなかったものだ。

リョウです、とインターフォンに告げると、玄関のロックがはずされた。
最上階でエレベーターを降り、呼び鈴に指が触れたとたん、
待ち構えていたようにドアが開いた。
「やあ」
それなのにモモの声はぶっきらぼうだ。歓迎されていないのか……。
ちらりと、みずきの受けた“試験”のことが頭をよぎる。

寝室に続く部屋には入らずに、モモは廊下を挟んで反対側の部屋に入っていく。
そこは広いリビングスペースで、奥がダイニングになっていた。
テーブルの上には大中小と重なった皿が用意され、
ワイングラスや水のグラスもセットされている。
テーブルの脇のワゴンの上には、
ドーム型の蓋をかぶせられた大皿がいくつか載っていた。

蓋のひとつをモモが取ると、生ハムやボローニャソーセージの薄切り、
ドライトマトやカルチョーフィのオイル付け、
小さなブロックに砕いたパルミジャーノなどがきれいに盛られていた。
モモは、ダイニングの片隅にあるワイン用の冷蔵庫から
あれこれ出したり入れたりしたあと、同じような形の瓶を二本持ってきた。

「どっちがいい?」 
キャンティとボルドーだった。
キャンティを選ぶと、モモはテーブルに置かれていたソムリエナイフを手に取った。
だがナイフをどう使ったらいいのかわからないらしい。

「かして」
キャップの首に刃をあててくるりと金属の覆いを取り去り、
スクリューをねじ込み、てこの原理でコルクを持ち上げる。
「うまいもんだね」
「商売だから」

言われるままにテーブルにはついたものの、
自分の前の皿をリョウはしばし見つめた。
「これジェインさんの分でしょ。私が食べたら悪いわ」
「ジェインじゃなくて、教授の。だけど彼、来れなくなったから」

教授……。この前ジェインの口から出た人のことだろうか。
だが、ジェインの留守に、モモと二人でここで食事をするというのが奇妙に思える。
「ずいぶん遅い夕食ね」
「今の高校生はこんなもんさ。塾やらなにやらいろいろあるし」

「高校生?」 
「そう、高校二年」
自分より年下だとは思っていた。
だから高校生というのはあり得ることなのに、すんなりと受け入れがたい。

モモは器用にナイフとフォークを操り、次々にハムやチーズを平らげた。
ワインには目もくれない。
少年の旺盛な食欲は、確かに高校生のものだ。
その食べっぷりを見ているとリョウも急に空腹を感じた。

次の皿は冷製の細いパスタで、
バルサミコの利いたトマトとバジリコの風味に、
瞬く間に胃の中に納まってしまった。
最後の皿はラムやスペアリブや自家製のソーセージのグリルで、
ローズマリーやタイムなどの香草によって、
肉や付け合せの野菜の風味が見事に引き出されていた。

「美味しかった。これ、ジェインさんが作ったんじゃないよね?」
「”オステリア”からのケータリング」
そんなこともわからないのか、とでも言いたげな固い返事に、
リョウはまたボトルに手を伸ばす。
ボトルにはもうわずかのワインしか残っていない。
ほとんどをリョウ一人で飲んでしまっていた。

「君、いつからこの仕事をするようになったの?」
少年のそっけなさは酔いで無視して、
山ほどある質問を順に聞いてみることにする。

「15」
「15歳!? そんなに早く……。
もしかしてジェインにスカウトされた?」
「まさか」

続きの言葉を待ったが、モモは何も言わない。
きれいに食べつくされた皿を前に、だまって、平然と座っている。
「家族は?」
気の利いた言葉が思い浮かばない。

「家族?」
そんなことに本当に興味があるのか、と少年の目があきれている。
「ごめん、言いたくなければ……」
「別に。サラリーマンの父親と専業主婦の母親、
一流大学出て銀行員になった兄と、
美人でもないのに末っ子だからという理由で、両親と兄二人から溺愛されてる妹がいる。
絵に描いたような平凡な家族さ」

「いいな。たぶんそれって、もう希少価値だよ」
この夜初めて、少年の顔に笑顔が浮かんだ。
「ほんと、天然記念物……。
でもってやつら、どの家も全部自分とこと一緒だと思ってる。
そこが一番恐ろしいけどね。リョウさんのところは?」

「母と父だけ。でも別居中なの。もうずっとね。
そろそろちゃんと別れればいいと思うんだけど、
二人とも罪悪感があって切り出せないのよ」
「罪悪感?」
「そう、どちらも自分が悪いと思いこんでるから」

これ以上両親のことは話したくなかった。
「じゃそんな平凡な家の息子が、
なんでこんな非凡な仕事をするようになったの?」

「中二のときに恋に落ちた。
相手は写真部の指導をしてくれてた大学の美学の教授。
僕の学校は中高から大学まである私立校なんだ。
彼とはすぐに肉体関係まで行って」

「ちょっと待って。その教授って……」
「今夜来る予定だった。
彼には4歳の娘がいて、その子が熱出して」
モモが固い表情なのは、楽しみにしていたデートが流れたせいなのか。

「子供が病気じゃしょうがないわよ。
たまに会えなくても、恋人がいるってだけでうらやましいわ。
でもわからないな。なぜここでデートするの?」 
「人目をしのぶ仲だから」
「にしても……。
それと、君がアクターをはじめたきっかけはどうなの」

モモは恋人の話ができるのが嬉しいのか、
なめらかな口調で語り続けた。
「教授とつきあい始めて一年ぐらいたったとき、
クラスの女の子から告白されて関係を持った。それが教授にばれて」
「やきもちを焼いた?」

「ちょっと違う。そのとき、教授はこう言った。
おまえが私だけでなく、色々な男や女に興味を持つのはわかる。
だが、おまえがろくでもないやつに引っかかるのを見たくはない」
「それで?」

「彼、ジェインの古くからの友達なんだ。
クラブ・ジェインのクライアント1号とか2号とか。
もう一人仲のいいのがいて、二人が一緒になると、
いつもどっちが先にクライアントになったかでけんかになる」
おぼろげに事態が見えてきた気がした。

「君をクライアントとして登録しようとした……」
「そういうこと。
ここのアクターが相手なら安心だからって」
「じゃなんでアクターをやってるの?」

「入会金や会費を二人分払えるほど大学教授の給料は高くない。
いくらジェインの友達だからといって、そういうところは律儀な人だから。
ジェインに相談したら、試しにアクターをやってみたらと薦められた。
彼には僕がアクターに向いていると、すぐにわかったらしい」
なんとも奇妙な話だった。だが少年の言葉に嘘はなさそうだ。

「教授との関係に、何も変化はないの」
「ない。クライアントとアクターとして会うようになったこと以外、
何も変らない」
「“クラブ・ジェイン”を通して関係してるってこと?」

「別にそうしなくてもいいけど、でもそれだとここで会えるし。
あ、ジェインは僕の家庭教師でもあるんだ。
もっとも最近は仕事がいそがしくて、一人で宿題をやってるほうが多いけどね」

ジェインが彼らにとって都合のいい口実であるのは、よくわかった。
モモの多様な欲望や好奇心が、”クラブ“の中だけで満たされるのであれば、
二人のステディな関係を損なうこともないのかもしれない。
けれども、
「よくわからないわ。なぜクライアントとアクターである必要があるのか」

「教授は僕に金を渡したいんだ」
「お金を渡したら恋人同士じゃなくなるじゃない」
「そういうことじゃなくて、彼には負い目があるんだ。
だから金は贖罪や感謝を表すひとつの手段となる。
それを直接手渡したら、確かに僕たちの関係はねじれていく。
けれどもクラブ・ジェインのクライアントとアクターなら、
関係は固定されたまま、永遠に変わらない形を保っていられる」
少年が大人びている理由がわかったような気がした。

「好きな女性のタイプは?」
「女は年上なら誰でも」
えっ? とリョウが驚くと、モモは得意そうな顔になった。
「だから僕は、“クラブ”のナンバーワン」
なるほど……と、リョウはすんなり納得してしまう。
これだけ受け入れ範囲が広ければ、並みの人間はかなわない。

「リョウさんは?」
「私も断然年上。歳の離れた兄貴みたいなひと」
「リョウさんか……。あのさ、名前変えたほうがいいよ。
そうだな……、ルゥってのはどう?」
ルゥ……、なんだか見知らぬ女の名前に聞こえた。
だがこの先に足を踏み入れれば、自分は今までとは違う女になるのだ。
リョウはだまって頷く。

玄関の扉が開く音がした。モモは椅子から立ち上がると、
主人の帰りを待っていた子犬のように迎えに走った。
リョウもあわてて立ち上がり、テーブルの上を片付け始める。
皿を重ねていると、ジェインが入ってきた。

「そのままでいい。なんだ、もう料理は残っていないのか」
「だってあれは……」
「すみません。お腹がすいていて」
モモとリョウが同時に答えた。
冗談だよとジェインに言われ、それでリョウの緊張が解けた。

「ビジネスの相手とじゃ、少しも食べた気にならない。
腹は膨れて、舌も満足なのに、本当にうまかったと心底から思えない。
モモ、パンをスライスして、軽くトーストしてくれ」
ジェインはモモに命じた後、ワインを選び、栓を抜いた。
「グラスだ」 と言われるのとほぼ同時に、
モモがキャビネットの扉を開けた。

それからジェインは冷蔵庫の中から、
瓶詰めのパテやラップに包まれた青かびのチーズを取り出し、
それらをダイニングではなく、
リビングのソファーの前の低いテーブルに並べた。
ワインはスーパートスカーナとして一世を風靡した、ティニャネッロだった。

「今夜はいい気分だ」
ジェインがグラスを掲げるとモモが、
「ファミリー・ジェインにようこそ、ルゥ……」 
と密度を増した視線をリョウに向けた。

「違います、わたしはリョウじゃなくて、ルゥ。
今夜からルゥなんれす。
ジェインさん、さ、ルゥって呼んれみてくらさい」
少し舌がもつれているだろうか。
さすがに酔いがまわってきたか。いやまだまだ大丈夫だ。

二杯・三杯とグラスを重ねる。
ティニャネッロはキャンティを飲んだことなど忘れてしまうほど個性的で、
しっかりとした味わいのワインだった。

「だから、やってみたいんです。無理なんかしていません。
何ごとも経験だし。週に1回だったらまったく問題ありません。
そうだ、バーは週4日にしてもらいます」
ほら、ぜんぜん普通にしゃべれている。

モモがかかっている音楽に合わせて踊り始めた。
この音楽は確かアメリカのソング・ライターの、えーと誰でしたっけ? 
とジェインを見ると、いつ着替えたのか、
帰ってきたときはビジネススーツにネクタイまでしていたのに、
今はジーンズと真っ白な麻のシャツ姿だ。
くつろいだ様子にリョウの気持ちがますますほぐれていく。

「だから、採用試験だってちゃんと受けますって。
女子大生だから免除だろうなんて、みずきさんにも言わせません。
私だってそんな甘えたこと……」
「採用試験?」
ジェインが聞き返した。

「そう、採用試験。モモが試験官でしょ、あんまりその気にはならないけれど、
私だってみずきさんに負けないくらいには」
にやりと、モモが笑った。
「喜んで試験官をやるよ。ジェイン、ママに電話して。
今夜はもう遅いから泊めるって」

そう言うなりモモがリョウの肩に腕をまわした。
そのままソファーに押し倒される。少年もかなり酔っているようだ。
「おい、お前たち……」
ジェインが何か言った。
リョウくん、君はもう採用試験は受けたんだよ、とかなんとか。
いやそんなことはない。私にそんな覚えはない……。

モモの手がシャツのボタンにかかった。
小さなボタンだからはずすのに手間取っている。
そのモモの手をリョウははね除け、立ち上がった。

ふらふらと、体が揺れる。
音楽が悪いのだ。私の体をこんなに揺らす。
揺れながら、ジェインの視線を捉える。
だって言ったじゃない、見たいって。見せてあげる。
だからしっかりと、見て……。

「ひとつ……、ふたつ……、みっつ……」 
とリョウは声に出して数えながら、シャツのボタンをはずす。
四つ目はあなたが……、と言ったつもりだったが、
自分のその声をリョウは聞かなかった。 

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