1-05 クラブ・ジェイン/リョウ

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すぐには、答えられなかった。
心の片隅では待っていた言葉なのに、
あまりにジェインの口調がなにげないので、虚を突かれた思いだった。

「君がここじゃいやだと……」 そう言われてあわてて肯く
ジェインは扉近くにいたギャルソンに車のキーを渡し、
そのまま外へとリョウを促した。

駐車場にギャルソンが先回りして、ジャガーのドアを開けている。
「動かしといてくれ。歩いて帰る」 
そう言ってゆっくりと歩を進めていく。

ジャガーに追い越され、エンジンの音が遠ざかると、
とたんに空気が重くなった。
「素敵なお店ですね」
「僕も気に入っている。
実は、あの店はクライアントとアクターとの出会いの場でもあるんだ」

リョウは店にいた客のことを思い出してみた。
隣のテーブルには、あでやかな化粧の女と遊び人風の若者がいた。
カウンターには背広姿の中年の男性が二人。
他にも何組かカップルがいたような気がするが、良く覚えていない。
そのうちの誰がクライアントでだれがアクターなのか、想像すらできない。

「全てがクライアントとアクターではない。
まったく関係の無い客も来る。
“クラブ”のサロンだということは、外部からはわからない」

ジャガーが左折したT字路に突き当たった。
ジェインはそこで歩を止めた。
「デザートはどう? 
坂を下ったところに毎晩アイスクリームのスタンドが出る。
なかなかいけるよ」

「わぁ! 私、アイスクリームに目がないんです」
はしゃいだ声は少し不自然に響いた。
ジェインは気にする風もなく、リョウの手をとった。

珍しく空気の乾いた夜だった。
ジェインの手のひらも湿ってはいない。だが歩き出すと、
握られた自分の手がしっとりと濡れてくるような気がして、
リョウは落ち着かなかった。

アイスクリームは確かに美味しかった。
リョウはピスタチオとチョコレートを、
ジェインはリンゴとくるみをチョイスし、二人は腕を交差させて、
互いのジェラートを舐めあったりもした。

手をつないだまま坂を登り、次第に濃くなる木立に囲まれた道を歩く。
ずっとこのまま歩いていたいとリョウは思い、そう口にしようとしたとき、
ジェインの意図に気付いた。
彼の振る舞いはリョウの緊張をほぐすため、それから、
アクターの仕事がどういうものか、教えるためでもあった。

通りから更に奥まったアプローチをたどると、
レンガ色の落ち着いた建物が現れた。
エレベーターで最上階のホールに出ると、目の前にドアが一つだけ。
ワンフロアーを占有しているのだろう。

玄関から暗い照明に照らされた廊下を導かれ、
モダンなインテリアの一室に入る。
中央には黒いレザーのソファー、ソファーの傍らのテーブルには、
白い花ばかりをまとめたアレンジメントが置かれている。

ジェインはリョウを残して出て行ったが、すぐに、
氷の埋まったクーラーバケツとシャンパン抱えて戻ってきた。
その後ろにもう一人男がいた。水のボトルを手にしている。

「紹介しよう。クラブ・ジェイン最年少のアクター、モモだ。
こちらはリョウ君」
リョウとほとんど同じ背丈の少年は、水のボトルをクーラーに差し入れると、
「よろしく」とそっけない声で言った。
「こちらこそ」 リョウが返事をしたときには、
少年はもう壁際の低いキャビネットに向かっていた。
フルートグラスや水のグラスをテーブルに運び始める。

ジェインは慎重にシャンパンの栓を開け、
三つのグラスに泡立つ液体を注いだ。
ボトルはシャンパンにしては珍しい透明のもので、
特徴のある金色のラベルは彼の手に半分ほど隠されていたが、
ルイ・ロデレールのクリスタルだとわかる。
ヴィンテージは読み取れなかった。

ジェインがシャンパンのグラスをリョウに渡してくれた。
少年は自分からグラスに指を伸ばした。
そのまま乾杯と、グラスをかかげる。
久しぶりのクリスタルは、クリーミーな泡と熟れたフルーツの香りと共に、
リョウの喉を滑り降りていった。

少年はシャンパンを飲んでしまうと壁に歩み寄り、
調光つまみを回した。それから、
部屋の隅に一客だけ置かれた椅子に座る。
すると少年の姿は、落とされたライトが作り出す闇に溶けこんでしまった。

ジェインがソファーに腰を落としたので、
リョウも向かいあわせのソファーに座る。
「聞かせてくれるかな。みずき君と僕はどんなセックスをしたのか」
「でも…」 
「モモのことは気にしないで。彼の姿は君から見えない。
部屋には僕と君しかいない」

リョウは、みずきとジェインが交わる姿を語ることは、
今夜ジェインと自分との間に起こることの前戯のようなものだと思っていた。
なんと答えたらいいのかと、
グラスの底から規則正しく湧き上がるシャンパンの泡に見入る。
すると少しづつ、気持ちが落ち着いてきた。

グラスの中にだけ真実がある、
いつだったか酔った母がそんなことを言ったっけ。
確かにリアリティーは、この泡のようなものなのかもしれない。
次々に生まれては上昇し、空気に触れるとまたたくまに消えていくけれど、
光の当たる液体の中にあれば目にも見えるし、
飲み干せば舌や喉に感じることも出来る。
肉体に感知できる一瞬にだけ、存在するもの。
視界から消えたモモのことを、リョウは考えるのをやめた。

「寝室はどこに?」
ジェインが立ち上がり、
壁の一部のように見える引き戸を、ほんの少し空けた。
そのスリットの奥、洞穴のような空間に、大きなベッドが浮かんでいる。
目を閉じても網膜に焼きついたように消えない、巨大なベッド……。
「みずきさんも、シャンパンが好きなんです。
一番好きなのはビールだけれど」 リョウは語り始めた。

みずきの笑い声がシャンパンの泡のようにはじけ、
部屋に満ちている。酔っ払っているのだ。
いや、酔ったふりをしているのかもしれない。
笑いながら、崩れるようにソファーに身体を投げ出す。
ミュールが、右、左と弧を描いて放り投げられる。

ぐったりと力が抜けた女のからだの傍らに、男は座る。
彼女のニットからのぞく胸の谷間に、きらきらと、
クリスタルのような汗が光る。
男は舌先で、女の汗を舐める。

女は小さく灯された炎に身をよじる。
彼女の胸はとても敏感だから、ほんのわずかな刺激で、
その先を予感させる男の舌の動きに、がまんできなくなる。
自分の負けを認めて、彼女は立ち上がる。
部屋の中を素足で歩き回る。歩きながら、
スカートのファスナーを下ろしていく。ブラウスの前をはだける。

彼女の黒いショーツとブラジャーは、男の好みではないかもしれない。
けれども、そんなことはまったく気にならない。
なぜならそれらを、彼女はあっというまに脱ぎ捨ててしまうから。

つややかなソファーの革の上に、再び女は身を横たえる。
肌に吸い付くような革の感触に、女はうっとり目を閉じる。
右のひざを折り、その足をソファーの上にひきあげる。
足の真ん中、暗い照明に照らされて、
透明にきらめくものが溢れ出そうになっている。

男はゆっくりと女の前に跪き、湧き出すものに見入る。
男の視線は、朝露をたたえた蓮の葉をゆする風のように、彼女をいたぶる。
露が零れ落ちる寸前、男の舌が、それを受ける。

女の中に、男は指を沈める。
熱い潤いに、指は吸い込まれてしまう。
男は自分にはないものを指先でさぐろうとする。
女も、自分にないものを求めている。
からだの芯にある空虚を満たしてほしいと、あえぎ、誘い、懇願している。

男は唇を彼女の奥底まで続く入り口に寄せ、舌先でなぶりながら、
もう一本指を加え入れる。
そのまま女を頂点まで連れて行くこともできた。
けれども男はしばらく舌も指も与えずに、女を観察する。

女の呼吸が速くなっている。
でも女だって、そんなにたやすく降参したりしない。
臆病ね、と少し笑ったかもしれない。
ううん、その笑いは自分を勇気づけるため。
それから立ち上がると、寝室に駆け込む。

男も女を追う。
彼女は金の雨を迎え入れるダナエのように、
ベッドに半身を起こして横たわっている。
男の視線は、ゼウスが形を変えた雨のように降り注ぎ、女を濡らす。
男も、衣服を脱ぎ去る。

女は最初、これは半分仕事で半分遊びのようなものだと、思っていた。
でもとうにそんなことは忘れている。
演技でもない。本当に感じて、本当に欲しくてたまらなくなっている。
男が女に覆いかぶさろうとすると、彼女は身体を起こし、
逆に男の上に身を重ね、男のもの口に含む。

女の欲望は果てしなく増殖を続ける。
口にほおばったものは、せっかく手に入れたご馳走なのだ。
それを失うわけにはいかない。
そしてもうひとつの餓えた場所にも、自分にないものを迎え入れたい。
背後からも満たして欲しいと願う。
指ではなく、もっと違うもので……、
すると願いの通りに、彼が、

「誰が?」
ジェインの声に、リョウは閉じていた目を開けた。
「たぶん、モモが」
「モモがその場にいたと?」
「ええ、たぶん。彼が背後から、彼女の中に入ってきて……」
「それで?」 
ジェインの眸が光っているのを確認すると、
リョウはもう一度目を閉じ、幻想のベッドに戻る。

「モモのリズミカルな律動で、
耐えていた女の泉は一気に決壊してしまう。
女の甘く、切ない声が部屋に満ち、
あなたは彼女の喉のさらに奥まで、ペニスをつきたてる。
それからモモとあなたと彼女に、同時に絶頂が訪れる……」

憑かれたように自分の唇に登る言葉を、
リョウは不思議な思いで聞いた。
それらは自分の中から生み出されたものに違いはない。
だが、自分の意思や理性を超えた何者かが、語らせたのだとも思える。

みずきとジェインのセックスは、本当は想像などしていなかった。
なぜか今までのように想像する気にならなかったのだ。
だがいざ語り出すと次々にイメージが湧きあがり、
それらを口にしただけでことは足りてしまった。

ほうけたように、身動きもせず、リョウはソファーに座っていた。
ジェインはクーラーからシャンパンのボトルをとりあげ、
グラスを満たした。
「シャンパンより水のほうがいいかな。
それとも何か欲しいものがあれば」

リョウは首を左右に振り、ジェインを見、
それから部屋の隅の暗がりに視線を向けた。
そこにいる、ほんの少し前に顔を合わせたばかりの、
年齢も性格もわからず体つきさえまだ良く観察していない少年が、
自分の描き出したシーンで重要な役割を演じたのだ。

暗がりから影が立ち上がり、
やがてテーブルとソファーだけを照らす光の環の中に、
モモのジーンズとじゅうたんを踏む素足が入ってきた。

少年はシャンパンのグラスを手にすると、
それをリョウに持たせてくれた。
男のものとは思えないきゃしゃな指がかすかにリョウの指に触れると、
それが合図でもあるかのように、一瞬だけ、まっすぐに、
少年がリョウの目を見た。その視線は、今しがた裸で交わり、
互いをむさぼりあったばかりの女に向けるられたように、濃密だった。

モモはリョウの隣に腰をおろし、
三人はひとくち、ふたくちシャンパンを飲んだ。
誰も口を開かなかった。
けれどもジェインの唇には微笑が浮かび、
モモはさっきの濃密な視線は見間違いだったと思えるほど、
あっさりとくつろいだ様子でソファーに背中をあずけている。

「どう、でしたか? 
私の想像は、あなたとみずきさんのセックスと同じでしたか?」
固いリョウの言葉に、ジェインの微笑はさらに大きく広がった。
「それとも、違っていましたか?」

「自信の程は?」
「これまで想像通りだったことなど、一度もありません。
みずきさんはいつも、大笑いするんです。
男はそんなに感傷的でもなければ、文学的でもないと」
「それはどうかな。男だって色々だ。
実際にはどうだった? モモ、少し話してくれ」
 

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