「民の力」いろいろ

前記事に対するしーたちゃんのコメントへの返信つづき、その他、別記事紹介・・・

 

>私は子どもに関するNPOにかかわっているのですが、
被災地から私が住む地域に避難して住んでおられる子育て家庭が集まる企画に、
情報提供とサポートの側として参加しました。(しーたちゃんのコメントから)

「民の力」「民間力」で、当事者に一番近いところで行われているのが、
こういう活動だと思う。

イタリア好き仲間にばななさんの「カプリ賞」受賞と「ばらの花」を紹介したら、
なかに震災後の東北へボランティアに二回行ったという人がいた。
そのSさんの返信メールには、
退職後に地元のボランティア団体に所属しているのだが、
震災後に若者が変った、
僕もやはり「元にもどらなくていい」と思う、とあった。

先日の新聞でも、震災を体験した小中学校で、
いじめやいじわるが減っているという記事があった。
これは阪神・淡路のときも同じで、でも学校生活がもとに戻ったら、
そういのも消えてしまったという。

これまでの(今の)社会や教育システムは、
他人にやさしくしたい、仲良くしたい、困っている人には手を差し伸べたい、
そんな自然に湧き上がる、人間が本来持っている気持ちや力を、
育てるのではなく、むしろ減殺してきた(している)のだと、あらためて思った。

>そういうことを、これから先、ガンガンにじゃないけど途切れずに、
やっていきたいと、今は思っています。(同)

これはいちばん大事なことだけれど、
でも、しーたちゃんやSさんのように、
もともとしっかりとした気持ちや志向性がある人たち以外の部分が、
「途切れずに」、「元に戻らない」でいてくれるといいなあ、と思う。
私は、原発はそういう人間力・民間力「減殺」社会の象徴であるとも思っているので、
その意味でも、元に戻そうとする力に抗して、
たくさんの人が、「元に戻らないぞ!」であってほしいと願っている。

>あのね、そこでもいろいろな出会いがあり、いろいろな声を聴いたのですが・・・・

>ここで子どもを育てていくのだと覚悟したんだなと感じるおかあさん、
普通につぎつぎ質問して、いろんなことを意欲的にリサーチしておられました。(同)

私は「おかあさんの覚悟」を思いながら、
もうひとつの「覚悟」のことも考えていた。

「ふくしま集団疎開裁判」

「自主避難をしたくてもできない家庭も多く、
避難するか否かを各家庭の判断に任せるべきではない。
いま、行政は、速やかに学校ごと疎開するという決断をすべきだ」として、
郡山地裁に仮処分申請を申し立てたもの。

集団疎開という形が本当にいいのかどうか、私にはわからない。
個人的には、各家庭の判断の余地は必要ではないかとも思う。
けれども、「自主避難したくても出来ない」親の、
なんとか子どもの安全を確保したいという痛切な思いが、
裁判に訴えてでも、親元から離してでも、という「覚悟」になったことに、
やはり子どもを持つ身としては共感もある。

これらの人々の「覚悟」に、いったいどれだけの思いが詰まっているか…。
簡単にわかった気になってはいけないけれど、
その「覚悟」は、すでに、遠い場所の他人のものというだけではないだろう。

「民の力」ということでは、
この裁判を起こした人たちと、いくつかの民間団体が、
ECRR(欧州放射線リスク委員会)の代表であるバズビー博士を日本に招いた。

郡山やその他放射線の計測と、裁判での証言を主な目的としたものだが、
博士は各地で講演や記者会見を行い、
福島事故後の放射線に対する日本の安全指針に、警鐘を鳴らした。

このバズビー博士のメッセージについて、それから、
城南信金の吉原理事がビデオニュース・ドットコムで語った素晴らしいトークについて、
「民の力」として紹介する記事を、個人ブログに書いた。
「民の力」は多極(局)的である。
また、「民の力」を減殺する「国の”病理”」を早くから指摘して、
独自に調査し、声をあげていた国会議員の不可解な死についても触れた。

もしこれらに興味があるかたは、
もうワンクリックが必要で申し訳ないけれど、
こちらから読んでください。

「民間力」vs「日本の”病理”」~放射能の世紀

2 Comments

  1. 私のコメントをスレッドの中で使ってくれちゃっていることに、
    ものすごく驚いてしまいました。
    ちょっとなぁ~、こんな抜粋だと、自分がえらく盛大に活動しているみたいだけど
    ぜんぜんそんなことはできていないから、縮こまる気分。
    ちょうどさきほど事務所に(今事務所からです)、
    こちらで集めた支援物資を受け取りに来てくれたのは、
    まだ20代?って思う若いお母さん。
    お休みの日を合わせたご主人の運転で、車いっぱいの荷物を積んで持ってかえってくれたところです。
    こういう人こそ紹介したいです。
    彼女は3才の娘さんをご主人に預け(ご主人はその間会社を休んで)、
    先月の終わりにもなにが求められているかのリサーチを兼ねて行ってこられたそうで、
    保育所が再開できていなかったり、保育内容の充実をはかる余裕がなかったり、
    いろいろな状況のなかで虐待の事例が増えてきているようだとのことでした。
    それで自分たちの専門分野を生かして、支援物資を運んだあとに
    一時保育のサービスを作れないかと思っていて、そのための助成金申請をしているところだということでした。すごいな。そんなふうに思い立ってすぐに動ける人、ほんとに尊敬するし応援したい。
    私は自分は体力がないし専門性もないから、現地に行ったら真っ先に貧血で倒れてしまって役に立てることはないように思っていたけど、
    彼女の話を聞いて、子どもたちに関することならなにかできるかもしれないなあと、
    漠然と思いました。
    彼女の話だと、現地の保育士さんも保育所を管轄する行政の担当の人も、
    とにかく疲れ果てていて、子どもたちのための新しい取り組みを考えるなんていう状況ではないみたい。
    「ほんとに疲れてはってね、なにも考えられへんっていう感じでした。」と。
    だからそのプランそのものをこっちで考えて、
    ハード(ちいさいものだけど)もソフトもまるごと持ってっちゃって、
    そこでその後も続けていけるようなプログラムを根付かせて帰ってくるっていうような・・・
    そんなことができたらいいなあ~~なんて話したんだけど、
    そうなったら私は行けるかなぁとあれこれ今考え始めたところ。
    自分の家族のいろいろな都合なんて、ちっぽけなことだよな~。
    なんとかなるよな・・・
    なんて、今週はじめのイベントを終えてちょっと弛緩の職場で、
    こんなにも長いレスを打ちつつしばらくシミュレーションです。
    リンク貼ってくれてたのも見に行きました。
    内部被爆のほうが深刻だなんて知らなかったです。
    それに、真実を暴こうとした政治家がほんとに命を狙われ、真実は闇に葬られていくことがあるって確信持ってしまいました。
    事態はどんどん重大なことになっているのに、そのことがうまく伝わらないままで、
    政治はあんなふうで、
    この国はほんとにどこに行き着くんだろう。

  2. しーたちゃん、
    コメントありがとう。
    前記事へのコメント返信をこっちの記事に引っ張ってきちゃったけど、
    私としては「民の力」ということで、個人サイトに書いたこととからめて、
    やっぱりしっかりと触れておきたいと思ったの。
    それから、若い行動力あるお母さんのことも、聞かせてくれてありがとう。
    本当に色んなところで、色んな人が、声をあげたり、
    行動をおこしたりしているのに、勇気づけられます。
    >内部被爆のほうが深刻だなんて知らなかったです。
    これは、これから日本全体がずっと抱えていくことだよね。
    いや、今回の事故では汚染水の問題がかつてないほど大きいから、
    海水、魚にどれだけ汚染が及ぶのかでは、世界の問題。
    食物連鎖もあるし、大気汚染とは比べものにならないくらいの問題かもしれない。
    でも、なぜか魚のことはほとんど語られていない。
    昨日Youtubeで上杉隆の番組を見たんだけど、
    彼は「スケープ・ビーフ」と言っていた。
    何故肉牛だけなのか? 
    その背後に隠されているものがあるのではないか、と。
    TVでは、次の大きな問題がお米だとニュースを流しているけれど、
    その前に水の問題だってある。
    私は政府や東電やマスコミの責任を問うけれど、
    でも一方で、ことは政府の手に負えない範囲にまで広がっている、
    マスコミの限られた紙面には書ききれないことが山ほどある、とも思っている。
    記事は絶えず選別されていて、「伝えたいこと」の影に、「伝えたくないこと」、
    あるいは「書けないこと」がある。
    だからこそ「民の力」が必要だし、
    だからこそ、私たちは自分で色んなことを判断していかなくちゃいけない。
    “「民間力」vs「日本の”病理”」~放射能の世紀“で、
    「高度に専門的で理解できないことも、私たちは判断しなければいけない」
    と書いたのにはそういう意味合いもある。
    たとえば内部被曝の基準線量の問題で、
    「ふくしま集団疎開裁判」を起こした人たちは、
    国の安全基準(ICRPをさらに緩めた)では安心できないと考えた。
    ICRPの基準は、いわば原発を維持推進していく立場のもの。
    それに対して、彼らは欧州民間団体ECRRの基準を持ち出している。
    二つの基準にはかなりの開きがあって、
    国がECRR基準を採用できないのもわかる。
    ECRRで対応できるだけの社会資本やシステムが日本にはない。
    それだけ大変なことになってしまうということ。
    日本が依っているICRPがそういう政治的な基準であるということも、
    押さえておく必要がある。
    そのICRPでも厳しい、国の出している安全基準はこれほど確かだと、
    依拠している数値や統計や計算式を駆使して検証している人がいた。
    かつて原子力関連で働いていたという、こちらも若いお母さんなんだけれど、
    専門の知識から、今回子どもに食べさせてしまった牛肉のセシウム値を計算し、
    この程度は大丈夫だと安心していた。
    彼女が繰り出す数式や論の展開を、数学オンチの私は追っていくことができなかった。
    シロウトにわかりやすいように、などという親切心がないこともあるけれど、
    ほとんどの人には無理だと思う。
    それでも、一見明解で確かに見える数式の解に、安心する人も多いだろう。
    彼女は、被曝より危険なことがたくさんあるのに、それをないがしろにしていると、
    「ふくしま集団疎開裁判」や、汚染に「過剰反応」している人たちを批判する。
    たとえば、煙草による発ガン率は低線量被曝より高い、とか。
    確かに、実際に被曝の影響が出る前に、ストレスで病気になってしまったり、
    中絶したりする人たちがいる。
    が、それを回避するために、安全性を断定的に言い切るのは、私は違うと思う。
    煙草や飛行機事故の危険性と、原発事故の危険性を同列に並べて論ずるのは、
    あまりに乱暴だ。
    個人の責任において選択される限定的なものと、
    選択権のない者に、広範囲にわたり長期的に影響が及ぶものを並置することは、
    むしろ、後者のリスクを矮小化させるための詭弁に聞こえる。
    自然放射能やレントゲン検査、
    航空飛行で浴びる放射線量などを持ち出すのも、同じことだ。
    私にわかっているのは、
    二つの基準のどちらがより正確なのかはわからない、ということだけ。
    できるのは、両者の言い分に注意深く耳を傾けることだけだ。
    またまた、コメント返信の域を超えて書いているけれど、
    今考えていることを(書ける時に)出来るだけ書いておきたいというのもあるので、
    このまま続けることにする。
    「ふくしま集団疎開裁判」について、ひっかかっていることがひとつ。
    「避難するか否かを各家庭の判断に任せるべきではない」という点だ。
    –記者会見用の要旨より
    http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624PressRelease.pdf
    すでに自主避難している人たちがいて、色々な事情から出来ないでいる人たちがいる。
    その結果は、個々の子どもたちに行く。
    いずれが子どものために良いのかは一概に言えないと思うが、
    そこに格差が生じるのは確かだ。
    その不平等の是正を公に求める、ということでは私は彼らの主張に頷くのだけれど、
    判断を全面的に自治体や国に委ねることに、割り切れなさが残る。
    ICRPの基準すら大幅に緩めた国に対する不信から、
    ECRRのバズビー博士を裁判の証言者に招いた彼らは、
    既に判断を下しているのではないのか。
    彼らの判断は、「子どもたちをより安全な環境に移すべきだ」というものであろう。
    「だが、それが個人の力では出来ない場合が多い。
    だから自治体の責務として行うべきだ」
    これでいいのではないだろうか。
    「避難するか否かを各家庭の判断に任せるべきではない」という一行は、
    避難させたいのにさせられなかった親の、
    子どもに対する後ろめたさ、あるいは申し訳なさが書かせたようにも取れる。
    そうなるとまた親の思いが胸に迫り、
    彼らを非難する気持ちには全くなれないのだけれど。
    このことは、補償の問題ともからんでくる。
    自主避難や自主疎開をためらう一番のネックは、経済的な問題だろう。
    昨日←Twitter(Pick)で紹介した児玉龍彦氏が、
    衆院厚生労働委員会で述べた意見のなかで、
    「補償問題と(強制避難区域の)線引の問題と、子どもの(内部被曝の)問題は、
    ただちに分けて下さい」と述べているのは、
    その意味で、放射線防護や除染の専門家としての提言であると同時に、
    非常に切実な現場の声を代弁するものでもあろう。
    http://nav.cx/gU37BE
    児玉氏は怒りの言葉で意見をしめくくっていた。
    「どうやって本除染を本当にやるか。
    七万人の人が自宅を離れて彷徨っているときに
    国会は一体何をやっているのですか!」と。
    「民の力」に頼るのはいい。
    けれども、それに足枷をはめ、骨抜きにしようとしているのが今の国会だ。
    「再生可能エネルギー法案」の電気代への上乗せ0.5%という自公の提言を、
    民主党も受け入れる方向だと8/3日の記事。
    この「規制」では、2020年までに再生エネルギーは4~5%しか増えない。
    現行1%が10年かけて5%…、
    いったい日本のエネルギー10年の計はどうなっているのか。
    100年が無理なら、せめて10年でもしっかりと考えてくれ。
    怒りを通り越して情けない。
    国民の電気代負担軽減のためだと言うけれど、
    電源三法で原発立地自治体に落ちていた交付金の一般的な家計負担額は、
    一年で4,000円だという試算がある。
    今日(8/4)の朝日新聞でも、一ヶ月300円とあった。
    すでに私たちは、何も知らされないまま、
    原発推進の上乗せ料金を払わされてきたのだ。
    私はそんな自公に、今さら家計負担の軽減なぞと、言って欲しくない。
    そもそも、言う権利が彼らにあるとは思えない。
    同じ3日の朝日新聞に、
    中国の太陽光発電の電力買い取りに関する記事があった。
    かの国はこの8月から、太陽光発電の電力を、
    火力や原発の三倍で買い取る制度を決めた、というもの。
    これにより、5年後には太陽光電力が現在の10倍に増え、
    2020年には、再生可能エネルギーの占める割合は15%となる。
    太陽光発電の設備で、今、世界の半分、欧州の95%を占めるのが中国だと、
    同記事は書く。
    かつて太陽光発電で最先端の技術を持っていたのは、
    日本だったんじゃなかった?
    >政治はあんなふうで、
    この国はほんとにどこに行き着くんだろう。
    ほんとに、どこに行くんだろう。
    で、私は、この国を信じて行けるのだろうか…。
    >「ほんとに疲れてはってね、なにも考えられへんっていう感じでした。」と
    いう被災者においては、
    怒りも、情けなさも、不信も、どれほどだろうと思うよ。
    (支援をパッケージとして届けるというしーたちゃんのシュミレーション、
    >そうなったら私は行けるかなぁとあれこれ今考え始めたところ。
    と具体的にイメージしているのがさすが。
    きっと行けるでしょう。いや、行くでしょう、きみは)
    もうひとつ←で紹介した上杉隆の番組にも、感銘を受けた。
    http://youtu.be/ZlLYTuU75s8 (1/3)
    http://youtu.be/B5Z-ai06c7I (2/3)
    http://youtu.be/1oMWgooRc9k (3/3)
    このアーサー・ビナードさんという、日本語で詩や評論をこなし、
    数々の絵本などを翻訳し、ラジオのパーソナリティーをつとめ、
    精力的に日本で原発について発信している、
    もはや詩人という肩書きだけではくくれない人を、初めて知った。
    番組の中で、原発に興味を持ったきっかけを語っている。
    アメリカ人である彼にとって、原爆とは「アトミックボム」であり
    戦争を収束させたものであり、ぴりりと辛いキャンディーの名前だった。
    日本の「核」に対する拒否感のようなものは、
    ほとんどのアメリカ人と同様、なかった。
    それが来日後広島に行き、「ピカドン」という言葉を知って180度変った。
    詩人の感性が、「ピカドン」という言葉に、
    原爆を落とされた側への想像力と、
    それまでの価値観の転換をもたらした、ということだろう。
    もうひとつ大きかったのは、第五福竜丸の被爆について本を書くことになり、
    当事者たちを含めて取材して回ったこと。
    見えてきたのは、「核の平和利用」の欺瞞性だった。
    アメリカは原爆推進を世界の反核世論から守るために、
    「平和利用」という隠れ蓑を必要としたのだ。
    だが、日本は見事にその企みに乗った。
    今年はじめて、被爆者の平和宣言に脱原発のメッセージが込められたが、
    「僕はアメリカを愛しているし、日本のこともとても愛している」というアメリカ人が、
    アメリカ側からの視点を交えて語ると、
    原爆と原発が核を支える両輪であったことが、
    とてもすんなりと腑に落ちる。
    (何故日本がアメリカの企みにこうも見事に乗ったのかは、
    武田徹の『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』で語られ、
    新聞でも触れられるようになってきたが、
    このことはまた別の機会に書くことにしよう)
    アーサーさんは、アメリカ人なのに反米ですか、とか、
    詩人が何故原発なのか、とよく問われるそうだが、彼の答えはこうだ。
    「(これまでの原発にも、今回の事故に関しても)
    言葉が現実を表す道具として機能していない、
    言葉がペテンの道具に成り下がったら困るから」
    やはり彼は詩人であった。
    講演では、マザー・グースの詩が引かれる。
    「原発は塀の上の卵」 
    http://www.labornetjp.org/news/2011/1304304640198staff01
    拍手メッセージにコメント寄せてくれた方、
    こちらこそ毎回読んでいただき、ありがとうございます。
    これからもいっしょにあれこれ、考えていきましょう。

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